もしもこの世界が魔法でできてなかったら
「ねえねえ、熊田くん、もしさ、今のこの世界とは全然違う世界があったらって考えたことない?」
ろうそくが少しだけ揺らめいた。
「えっ?どういうこと?例えばどんな世界?」
僕は目を閉じたまま小さな声で答える。
「そうね、そこではね、今みたいに明日の魔法のテストのために魔力を貯める訓練なんてしなくていいの。それどころかさ、魔法とか、そんな力全然ないの」
「魔法がなくってどうやって世界が成り立つんだよ。そんなわけないだろ」
「もー、熊田くんはホント夢がない。だからさ、なんか別の力が成り立ってるんだよ。ほら、なんか原因と結果がはっきりしてて、すべてのことが論理で成り立っちゃうような」
「白石さん、そうやって夢みたいなこと言ってるとさ、明日魔力切れ起こすよ」
「いいじゃんちょっとくらい。そんでね、その論理を極限まで進化させたらさ、今の私たちみたいなのと同じことができるんだよ。離れたところにいる人とお話ができたり、鋼鉄の塊を空に浮かせて移動できたりするの」
「それじゃ今と何にも変わんないじゃん」
「でもそれが魔法でできてるんじゃないんだよ?そう考えるとワクワクしない?例えば、そうね。科学っていう力なの」
「白石さん、明日が終わったらね。なんかそういうテーマで小説でもかけばいいと思うよ。もしも世界に科学があったら、みたいにさ。でももうあと6時間で本番なんだから、少しでも魔力貯めとけって。上空の魔力切れは救いようがない」
「ねえ、それは私のセリフだよ熊田くん。どんなに控えめにみたって君の方が魔法が下手だと私は思うんだ」
悔しいけどそれはその通りだった。
僕は魔法の集中がひどく下手だ。
直感とか、ひらめきとか、暗闇に飛び散る火花を捕まえるよりは、なんていうか、レンガを1つずつ積み重ねてずれてないか確かめる方が向いてる、と思う。
だからそのあとの魔力貯めも、白石さんの言ったことが気になって集中できなかった。もちろん言い訳だ。失敗の前に自分を先に慰める、言い訳。
そういえば少しだけ歴史で習ったことがある。
古代ギリシャには4人の賢人がいて、それぞれがこの世界の成り立ちをそれぞれの方法で説明した。
その時代にすべての力が火と水と、土と風でできている、っていう世界の真実を言い当てたアリストテレス大魔導がいたのは奇跡だと思う。そこにアルケー、アナクシメネス、クセノパネス、ヘラクレイトスが続いた。
先人たちの研究が進んだおかげで僕たちはこの4つの力を混ぜ合わせていろんな魔法を使えるようになったのは今更説明するまでもない通りだ。
その他にはデモクリトスとかいう男がすべての物質は原子とかいう、極小の粒でできているなんて言ったらしい。噴飯ものだ。古代にはそういう間違った考えが数多く流布した。
それでも、白石さんがいうようにデモクリトスが正しかったら、と少しだけ思う。
僕には論理とか、暗記とか、計算とかで答えが出る世界の方が向いてたんじゃないかな。
だったら明日の試験で命を落とすかも、なんて心配はいらなかったのに。
18歳ともなるとみんなある程度自由に魔法を使えないと落伍者になる。たまに30代、40代にもなるのに魔法に集中できずに地べたを這いつくばってる大人を見るとああはなりたくない、って心から思う。
僕と同じ世代でも天才と呼ばれる奴はもう錬金に成功してるやつもいる。
大陸じゃあ自分で練った魔法を成功させて世界を一変させるようなやつもいる。自分で亜光速で上空を駆け巡って大空に星でサインを描いてった。
ああいう天才は嫌いだ。
白石さんがそれをうっとりと眺めてたのをみて尚更そう思った。
ライト兄弟が浮遊魔石を発明してハーバー・ボッシュが食料の錬成に成功した。アインシュタインが亜光速ボムを実用化させたのは人類の汚点だけど、魔法は着実に進化し続けている。
白石さんの興味は本当は僕の方が何度も空想してきたんだ。
始まりは一緒だった。
だけどどっちの力を信じるかで大きく僕たちの世界は角度を変えていったとしたら。
魔法か、それとも科学か、どちらを先に信じるかで「本当に」世界が様変わりしたとしたら。
小さい時からそんな空想に浸っては、
魔法に失敗してきた。
明日もし、浮遊で大陸まで行けなかったら僕は落第だろう。白石さんは高等魔法に進むといってたから僕とは1年間離れ離れになる。そしたら……。
僕は目の前のろうそくをもう一度睨めつけた。
今は一分一秒でも多く集中するんだ。
落ち着け。
僕はこの世界のルールでやっていくしかないんだ。
★
次の日僕と白石さんは同じグループで、日照点第3の時からカシオペアの方角へ浮遊する予定だった。
全工程で遅くても日没までには帰ってこれるはずだった。
途中までは順調だった。持ってきた魔石にもまだ余裕があった。
「ねえ熊田くん」
白石さんは本当に余裕そうだ。ふわりと軽く、時折風を使いながら彼女は夏の風に舞っていた。そこだけ追い風なのか、髪も整っていた。
悔しいけれど彼女には才能があるんだ。僕にはないやつが。
「なに?」
僕も精一杯余裕のフリをして答える。今のスピードが限界なのがバレなきゃいいと思いながら。
「あの時の話ずっと考えてたのね」
「あの時の話?」
世界の成り立ちの話だ。
「世界の成り立ちの話よ」
「それで?」
「なんかさ、まだアイディアだけなんだけど、もしかしてだけどさ」
白石さんは渡り鳥の群れを眺めながら、左手で髪をいじりながら、ちょっとずつ話し出した。
白石さんの話は所々難しすぎてついて行けなかったけど、どうやら僕が考えたのと同じ、世界のルールが作られようとする古代ギリシャにさかのぼることができるかもしれない、っていうやつだった。
「だとすれば時間航法の矛盾を解決できる蟻の一穴が作れる。あとは魔力の揺らぎが自己補正してあるべき姿に収まるはずなの。どう?」
「世界中が大迷惑だろ。せっかくこんなに頑張って魔法作ったのに」
「だよね」
「でももし」
僕が話せたのはそこまでで、どうやら僕はいつのまにか魔力切れを起こしていたらしい。気がつくと石が地球に引っ張られるのと同じ力で海に吸い込まれていった。
こんなことなら諦めて地べたを這いつくばるべきだった。だけどあっという間に視界から消えたはずの白石さんの声が聞こえた。
「熊田くん、ダメ。諦めちゃダメ。もう一度、お願いだから浮くの」
「無理だよ!白石さんこそ僕に構わずに、ダメだ。その魔力は君用のものだ」
「あなたを死なせたくない」
「君は死んじゃダメだ」
「ねえ、もう時間がない。もしもだよ。私がさっきの魔法を唱えたら、あなたは一緒に唱えてくれる?」
無理だ、と瞬間的に思った。僕には唱えられない。
「いい?全ての魔法は信じる力が全てなの。信じたら実現するし、信じなければ…」
「信じる!」
僕は大声を出して白石さんの手を握りしめた。
「僕は君を信じる!」
白石さんはにっこりと笑って目を閉じた。急に眩しくなって、いつまでたっても海面と激突することはなかった。
少しずつ周りが静かになってなにも聞こえなくなった頃、白石さんの声が聞こえた。
小さくて、耳のすぐそばで話してるみたいだった。
「ねえ、熊田くん、もしも世界が根底から変わっても、私たちは今のことを忘れちゃうのかな」
そんなことない。
「きっと向こうの世界でももしも魔法があったなら、なんて考えることがあるはずだ。今日の僕らみたいに」
向こうでも君と会えるといいんだけど。
「きっとそんな物語を書くから」
うふふ、と笑い声がした。
「待ってる」
今週のお題「もしも魔法が使えたら」