物語はいつも不安定

SF小説が好きすぎて

バベルの司書

古い本棚だ。

百科事典みたいに重厚な背表紙がずらっと並んでいる。膝までの手すりが飴色に光っていて、その先は大きな吹き抜けだ。六角形の部屋。そのうち4面が大きな本棚になっていて、その前に僕は立っていた。

 

 

おかしなことに気づく。

 

 

背表紙に金色で印字されているタイトルがデタラメなのだ。

 

 

「準ぐまぞぃ諸そた罪ゎ(9晶」

 

 

じゅんぐまぞいもろそたつみわきゅうしょう?赤い背表紙に金色で印字されているデタラメな文字はいかにも不釣り合いだ。

 

 

もしかしたら「準ぐまぞぃ諸そた罪ゎ」は意外と有名で最新刊が9晶なのかも知れない。僕はこれまでに「準ぐまぞぃ諸そた罪ゎ」を読んだことはなかったから、とりあえず手に取ってみた。書き出しはこうだ。

 

 

ききげぐゎ猿よい嘱Xゃらぢ)京で

ょゆりきけぶ覧、錯お飲蛍つ菓りな

ん!だノん!…

 

 

斬新すぎる。頭がどうかなりそうだ。ぱらぱらとめくってみたがどのページも同じ調子だ。と思ってふと周りの本を見ればタイトルはどれもデタラメだった。

 

 

「ぴガヰキ&A琇夋。」

「Z3蚕鉀ボ0ァみホ)」

「Fゆリ!0」

 

 

なんなんだここは。不思議の国に迷い込んだみたいだ。出口はどこだろう。本棚の他は違う部屋へ続いているようだ。そっちだろうか?まさか…。

 

 

僕の悪い予感はだいたい当たる。

 

 

着いた先は同じ閲覧室だった。六角形の部屋。4つの本棚。2つの出入り口。そして、

 

「ど古ど沢」

「ぽりんぽりんぽりんぽりんぽり」

「すみ壊わ味ごじけざどやねん?」

 

・・・

 

 

「…どやねん?」だけはまだ最後に何か聞かれている気がしたが、どれもひたすらデタラメな文字列だ。なんなんだこの建物は。

 

 

手すりの向こうは巨大な吹き抜けになっており、よくみると螺旋階段がついている。高い建物のはるか上空なのか、深い地下の底なのか、それで出口がわかるはずだ。

 

 

少しだけ悪い予感に導かれ、慎重に手すりから身を乗り出すと…

 

 

上も下も見渡す限り本棚であった。

 

視界に限りなく本棚が続いている。合わせ鏡のようにどこまでも続く本棚。

どうしてだろう。

僕はどうしてバベルの図書館にいるんだ?バベルの図書館?なぜ僕はその名前を知っているんだろう?この建物の名前は、

 

 

 

・・・

 

 

「バベルの図書館って知ってる?」

 

 

夏休みだというのに皆川図書館はがらんどうとしていて、寂れたリゾート・ホテルみたいだった。外はそろそろ日差しが強くなる時間で、セミの声がラジオの声のように遠く響いた。

 

 

「バベルの図書館?なんですかそれは?」

 

僕は読書をやめて向き直る。

 

「ホルヘ・ルイス・ボルヘスっていうアルゼンチンの作家がいるんだけどね。その人が考えた図書館のこと」

 

 

「バベルの塔なら知ってますけど、それとは違うんですか?」

 

 

「うーん、ちょっと似てるかも。なんっていうかな。バベルの塔もそうだけどさ、なんかすごく超すごいんだよね」

 

 

皆川さんは司書のくせに語彙力が貧困である。皆川さんが持ってきてくれたアイスティを飲みながら、僕は大学のレポートを仕上げていた。この素敵な図書館は皆川さんの相続した図書館で勤め先でもあり、僕の愛すべき暇つぶし場でもあり、なんといっても皆川さんは魅力的な人だった。

 

 

「どんな図書館なんですか?」

 

 

「聞きたい?」

 

 

とても嬉しそうだ。

 

 

「例えばさ、君のそのちょっとかっこいい腕時計を粉々に分解するとするじゃない」

 

 

「しませんよ」

 

 

「いやまあほら、例えばの話なんだけど」

 

 

「例えばの話ですね」

 

 

「そしたらこの腕時計のネジだとか、電池だとか、文字盤だとかになると思うんだけどね、それをね、ドラム式乾燥機に入れるの」

 

 

「図書館じゃなくて乾燥機に」

 

 

「うん、黙って聞いて?そして1時間くらいごうんごうんしてぱかっとドアを開けたらどうなってると思う?」

 

 

「…破片がもっと粉々になってるんじゃないですか?」

 

 

「普通はそう。ばらばらの部品だから。でもね、何百回も、何千回も、何万回もごうんごうんしたら、偶然ネジが元のネジ穴に収まる場合もあるじゃない?」

 

 

「…まあ、確かに。何万回もやればそうかもしれないですね」

 

 

「そう、そしてね何億回、何兆回、何兆回かける何兆回って洗濯機を回したらさ、偶然全部のネジが元のネジ穴にぱちっとはまって元の腕時計の形に戻ってることもあるはずなのよ。運がものすごくよければ。」

 

 

「ちょっと想像つかないですけど…それってものすごく低い確率ですよね。本当にあり得るのかな」

 

 

「そう!確率なの。理論上はそうなの。そんな図書館なのね。バベルの図書館っていうのは」

 

 

「ちょっとよくわからないんですけど…乾燥機と図書館が何の関係があるんですか?」

 

 

皆川さんが嬉しそうにこういう話をするときには決まってろくなことがなかった。

 

 

「そうそう。ポイントはね、バベルの図書館にはとにかくデタラメの文字が並んでる本が無限にあるの。そしてね、一冊として同じ本がないの。すごくない?」

 

 

「同じ本がない…ってことは」

 

 

皆川さんの決してうまくない説明についていくのは難しいパズルみたいだ。それにしてもアイスティがおいしい。おかわりはないのか。

 

 

「そう、無限に続くデタラメな本。無限の本の中にはさ、たまたま文字の並びがちゃんとした本になってるやつもあるんだよ。運が良ければ。吾輩は猫である、クリスマスキャロル、罪と罰。ぐりとぐら。偶然それと全く同じ並びになってる本もあるの」

 

 

「そう考えるとすごいですね。どのくらい運がよければそうなるんだろう…」

 

 

「それだけじゃないよ?バベルの図書館にはさ、無限の本があるんだから、聖書とかコーランも絶対あるし、君が今読んでるほら、意識のコード化概論?だって必ず置いてある。たまたま文字の並びが一緒になる本が必ずあるの。それってすごくない?」

 

 

「そっか…そうですね。この本も文字がたまたまキレイに並んでるだけなんですね」

 

 

「ねえ、すごくない?すごいよね?行ってみたいよね?バベルの図書館」

 

 

「ええ、まあ、すごいと思いますけど。え、行くって?」

 

 

「うふふ」

 

 

「行くってどうやって?今のは小説の中の話ですよね?」

 

 

と返事をしようとしたところで視界が歪んだ。皆川さんはちょっとだけ申し訳なさそうにこちらに向かってごめんねのポーズをしていた。

 

 

…そう、その電極は首のところに…うん、このアダプタに…あぁ、ダメダメ、そっとつないで…大丈夫、催眠術の強いやつみたいな…足そっち持って…いいですか?…起動します…

 

 

・・・

 

 

そうか。

 

 

皆川さんはその有り余る暇と財力を使って僕をバベルの図書館に送り込むことに成功したのだ。その比類なき手腕に僕は怒りを通り越して感動を覚えた。

 

 

 

そのときふと目に止まった本のタイトルに僕の目は釘付けになる。

 

 

「---くんへ」

 

 

突然こんな仕打ちをしてしまってご

めんなさい。この文章はあなたの目

の前にある本に印字されるようにメ

ッセージを打ちました。ここはバベ

ルの図書館です。どうやってここに

あなたを送り込んだのか不思議に思

うかもしれません。安心してくださ

い。君の体は皆川図書館に横たわっ

てとても元気そうです。少し説明し

た通り、この図書館には全ての本が

収められています。バベルの図書館

はデータ上に構築するのはとても簡

単で、プログラムで再現するのは難

しくありませんでした。バベルの図

書館は実在するのです。その可能性

はとても私をワクワクさせてくれま

した。ここには誰も見たことのない

歴史や、未来の歴史、タイムワープ

の仕組み、宇宙人の体の構造、そし

てもちろんあなたが今体験している

冒険と結末を描いた本も必ずありま

す。私はどうしてもそれが読みたい

のです。ただ、見つけるのがとても

難しいのです。そこで、あなたの出

番です(ごめんなさい!)今、あな

たの意識は世界中から集めた余剰プ

ロセッサの処理能力の限界まで複製

されてこのバベルの図書館中を探検

しています(ごめんなさい!)何も

見つけられなかったり、螺旋階段に

落ちたり(底無しです!)したあな

たのコピーは消去されて記憶に残ら

ないように

 

 

・・・

 

 

僕はそこで一度本を閉じた。

 

 

必ず脱出する。そしてちょっと叱る。

 

 

長い夏休みの始まりだった。

 

今週のお題「読書の夏」

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