物語はいつも不安定

SF小説が好きすぎて

長くて古くて大きな約束

あいつの手には水かきがあった。

 

俺らはいつも木の実だとか虫だとかを捕まえて食べる。だからどうしたって手の違いには敏感だ。あいつの手がヒダヒダのせいで大きく開かねえのを、仲間の連中はことあるごとにバカにしたもんだ。

 

「おい、指をもうちっと広げてみろよ、どんぐり2つはもてねえか?」

 

正直指の間にヒダがあるからってそんなに不便なことはねえ。だがちょっと変わった手のあいつをバカにすることで、なんというか村の連中はとても居心地が良さそうだったんだ。

 

俺かい。俺はあいつのことは嫌いじゃねえ。いや、それどころか好きだったよ。なぜって俺だってすこうしばかり変わってたからさ。

 

 

俺は連中よりも少し耳も目も大きかった。いや、だいぶ大きかった。だけど俺の耳がいいことで何度もあのでっけえトカゲから襲われないですんだんだ。だから村の連中は俺の耳をバカにすることはなかった。

 

だけどよ、あいつらがみんなと違う手のことで仲間外れにされるのをみてると自分が言われてるみてえに胸のところがシクシクした。

 

 

俺だってちょっと違えばいじめられてたかもしれねえじゃねえか。

 

俺とあいつは、だから友達だったんだ。

 

「なあ、僕のこのひだひだは何のためにあるんだろうな」

 

俺らはよくいっしょに食べ物を探しに出かけた。あいつのヒダヒダは水をすくうのに具合がよかったもんだから、いつもミズのあるところへ行ったもんだ。

 

まるまると太ったミズダンゴムシがあいつの水かきの中にスーッと忍び込むもんだから、捕まえるのは簡単だった。俺らはいっしょにたらふく食った。連中は知らない味だ。俺は自慢の耳と目で、トカゲがこねえように見張ってたから、俺らはたった二人でも大丈夫だったんだ。

 

たまにあいつの妹がいっしょにやってきた。あいつの妹にも、やっぱり水かきがあったな。他の奴らにはできるだけ見えねえようにしてたんだが、俺はその手をいっつも褒めた。

 

「よう、おめえの手はよ、たくさんのミズを受けられるようにできてんだ。ミズだけじゃねえ。食いもんも、楽しいことも、苦しいことも、おめえの手なら受け止められるよ」

 

 

妹はそれを聞くとだいたいあいつの後ろに隠れた。でも、ちょっとずつ手を隠さねえようになったところをみると、俺のいいてえことは伝わってたんだ。

 

 

あいつはミズが好きだった。今ならわかるんだけどよ、きっと自分の手の意味を知りたかったんだ。そんなあいつを止めてやるべきだったのかもしれねえ。だけどよ、ミズベでうれしそうにエサを探すあいつのことを、俺は美しいとすら思ったんだ。生まれつきあいつは自分の居場所がわかってた。あいつは俺にこんな話をした。

 

「なあ、このミズの先には何があるんだろうな。行けば行くほどミズは増えていく。俺はさ、この先を見てみたいんだよ。見渡す限りのミズがあっても俺は泳げると思うんだ」

 

「バカ言え、おめえの息はミズの中じゃ続かねえよ。サカナだとかムシだとかと違うんだ、おめえは乾いたところに生きるんだ」

 

いい晩だった。ムシの鳴き声がたくさんあるけど、あのでっけえトカゲはいねえ。ときどきミズが俺の足にちゃぷちゃぷ当たった。あたたかで、やわらかくて、優しい気持ちがした。

 

「そうだな。お前は頭がいいからきっと正しいんだと思うよ」

 

ずいぶんたってこんな返事が返ってきた。あいつはまじめなやつだから、きっといろんなことを考えてたんだ。

 

空の星があんまりたくさん輝いてたから、俺らの目はよく見えたし、たくさんの食いもんを集められた。風が穏やかで涼しくて、気持ちのいい晩だった。

 

サカナが跳ねたのを、あいつはじっとみてた。

 

 

 

あいつが死んだのは事故じゃなかったと今でも思ってる。すげえ嵐だったから俺らは普通外にはいかねえ。だけどあいつはミズのほとりに行ったんだ。夜がしらじらと明けた頃、あいつの毛むくじゃらの体がミズに運ばれてきた。あいつの妹は声にならない叫び声をあげた。

 

俺はそんなあいつの体をみて、あいつの手のヒダヒダをみて、とっても悲しい気持ちになったんだ。連中はそんなのほっとけって言ったが、そうはいかなかった。オレにはあいつの気持ちがわかるんだ。

 

 

"なあ、俺のこのひだひだは何のためにあるんだろうな"

 

 

俺にはわかった。あいつはミズの中で息をしようとしたんだ。自分の居場所を自分の居場所にしようとして、そして力を尽くしたんだ。

 

 

あいつは最後に見つけられたんだろうか。あいつは満足して死んだんだろうか。

 

 

俺はみんなにバカにされたけど穴を掘ってあいつの体を丁寧に置いた。できるだけミズの近くにして、うんと深い穴を掘った。他の仲間が死んだってこんなに悲しくはなかったけど、そのとき俺の胸はシクシクして今にも破れそうだった。俺とあいつは友達だったんだ。

 

あいつの妹はずっとそんな俺を手伝ってくれた。一生懸命穴を掘って、いっしょにあいつの体を置いた。その水かきのついた手で。

 

 

 

あいつの妹はそれから、何か決心したようだった。ミズの近くに住むようになった。いっつも体の半分くらいをミズにつけてた。エサがなくってもいっつも潜ってた。俺はその気持ちが痛いほどわかったから、エサを探すのをいっしょに手伝ったりしてた。

 

そして、ある日、あいつの妹はいったんだ。

 

 

「わたし、ミズの先を見てこようと思います。兄が見たものを、見てきたいと思います」

 

止めても仕方ねえと思った。でも、一個だけ約束したんだ。

 

 

「よう、もしよ、もしお前がミズの中で息ができるようになって、その水かきでサカナみてえに泳げるようになったらよ、もう一度会おうぜ。そんでお前のにいちゃんの話をしよう」

 

少し迷った後に俺はこう付け加えた。

 

 

「俺もミズの中に行きてえが、俺にはおめえのような立派なヒダヒダがねえ。だからよ、時間はかかるかもしれねえが、必ず会いに行くよ。なんか方法があるはずだ」 

 

 

あいつの妹はゆっくりとうなずいて、俺の手を包んだ。あたたかで、やわらかくて、優しい気持ちがした。

 

 

 

 

・・・

 

ハッと目を覚ますと時計は23:00を告げていた。どうやらうとうととしてしまっていたみたいだ。

 

 

読みかけの『海生哺乳類の系譜』のページがそのままだった。

 

"海生哺乳類で、かつ現存する動物の中で最大の大きさを誇るマッコウクジラの歴史には謎が多い。大昔にサカナであったセキツイ動物は長い悠久の時間をかけて浮き袋を肺へと変化させ、水中から陸上に上がった。さらに長い時間をかけて哺乳類へと進化したが、どうしたわけか再びまた海に還り、指に分化していた手足の指をくっつけてヒレに戻して、水中での呼吸には使えなくなっていた肺で水に潜るようになったのである。そしてこの広大な海の頂点に君臨した。

しかし、海の王として長きにわたり地球を見守っているクジラは、我々人類と共通の祖先を持つ。我々人類、そしてクジラの祖先は恐竜の跋扈する中生代白亜紀に誕生した。体長10cmほどのネズミのような生き物、その名をエオマイアと呼ぶ。今から2億5千年前のことである"

 

 

2億5千年前にこの陸上をちょろちょろと歩いていたネズミ。クジラになるやつとサルになるやつが確かにいた。 

 

僕はナイトダイビングの準備を始めた。研究の名目で好きなだけ潜れるからこの職業を選んだと言われると否定できない。深い海の底で生き物の群れを見ると、自分が一人じゃない、という安心感があった。自分の居場所がわかるというのはなんて素敵なことだろう。職業なんてそんなもんだ。まばたきのような一瞬の命で、行きたいところに行けばいい。

 

 

南太平洋までやってきた目的の一つはクジラだった。こんなにも大きさも住む場所も違う海の王が僕らと同じ哺乳類だという事実は僕の想像力を掻き立てる。

 

 

静かに海面に全身を浸して、自慢の耳と目を研ぎ澄ます。

 

・・・

 

今回のダイビングはハズレのようだ。クラゲやサカナの小さな群れがいるだけで、僕のカメラには大したものは記録されなかった。諦めて海中遊泳に切り替えようか。と思い始めた時のことだった。

 

 

 

最初は壁かと思った。

 

こんなに巨大なマッコウクジラがこんなに浅い海まで上がってくるのはとても稀な機会だ。僕は夢中でシャッターを押さえる。

 

このサイズまで成長するのにいったい何年かかったことだろう。100年、いや200年か。きっと僕らニンゲンが蒸気機関やら飛行機やらを発明して喜んでいたときからこのクジラはこの地球にずっと住んでいたのだ。

 

彼、いや、彼女だろうか。近づいてくるその壁のような巨体を僕に時間をかけて見せてくれた彼女は、僕に長い年月の経験を教えてくれるかのようだった。いや、もしくは単に自分の立派な体を褒めてもらいたがっているのかもしれない。彼女は不思議と幼い子供のようにも見えた。

 

 

 

 

長い時間、僕らはすぐ近くで一緒に泳いだ。写真を撮るのは途中でやめてしまっていた。僕は言いようのない親しみを感じて、彼女を見つめる。

 

 

クジラは盛んに鳴き声を発していた。僕に何か伝えたがっているのかもしれない。あたたかで、やわらかくて、優しい気持ちがした。

 

 

 

はるか昔、僕らがともにネズミだった頃もあったはずだ。いっしょに肩を並べて木の実を頬張る三匹のネズミ。僕はそのときのことを考える。

 

 

 

「よう、久しぶり」

 

 

 

彼女はひときわ大きい音で応えてくれる。

 

今週のお題「一番古い記憶」 

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