物語はいつも不安定

SF小説が好きすぎて

私に渡しに

 第一幕 気づくと男は真っ暗な夜道を歩いている。

     足元を見れば玉砂利の道。

     月夜に照らされ美しく輝く。

     どこへ向かうかわからないが、

     急がなくてはならない。

     道端に女がうずくまっている。

     

 

男 何者だ。

 

 

一の姫 しくしくしく。

 

 

男 これ、どうしたかこんなところで泣いて。

 

 

一の姫 つらくてつらくて、

    それで泣いているのです。

 

 

男 どういうわけか、話してみんか

 

 

一の姫 私には一人男の子がおりました。

    その子が不憫で不憫で涙が止まらないのです。

 

 

一の姫 なぜかと申しますと私はこの、

    自分がお腹を痛めて産んだこの子を、

    全く愛することができないのです。

 

 

一の姫 この子をみるとどうしても、

    わたしはどうしても憎くて憎くて、

    この子のためにならないことばかりをしています。

 

 

男 ふむ。

  それはこの子にとっても不幸なことじゃ。

  どれ、その憎しみ、わしに売ってみんか。

 

 

男は内心自分の口をついた言葉に驚くが、流れに身を委ねることにする。

 

 

一の姫 あなたさまにお売り申し上げる…?

    そんなことができるのですか?

 

 

男 それはその、これはどうやら夢の中であるからな。

  わしだってこんな格好をしているが、

  実際はソロモン・スミス・バーニー証券で、

  債券のトレーダーをやっている。

 

 

一の姫 それではこの憎しみ、

    あなたにお売りいたしましょう。

    しかしその、お代と言ってはなんですが、

    わたしは何をもらえるものでしょうか?

 

  

男 ほ。これは強欲なやつもいたものじゃ。

  己を救ってやろうという男に請求書か。

  どうれ。それではこれはどうじゃ。

  気持ちの波が全く無いもの、

  すなわち平穏を代わりに支払おうぞ。

  わしの心を満たす正真正銘の平穏じゃ。

  さすれば子に対する態度も和らぐじゃろうて

 

 

一の姫 そんな良いものを…

    よろしいのでしょうか?

    わたしが禍々しい魑魅魍魎の類であると、

    あなたはお考えにはなりませぬか。

 

 

男 そういう危険をわしに教えるならまだ易しい。

  よいよい持っていけ。

  わしの平穏はそう簡単に無くなるものではない。

 

 

女の胸からぼたりと土くれが地面に剥げ落ちた。

 

 

一の姫 ああぁ憎しみが洗われていく…

    穏やかな海にぴくりともしない小舟が漂っているよう。

    これが平穏というものか。

 

 

男 では、確かに憎しみは買っていく。

  せいぜい長く息災で。

 

 

一の姫 ああぁ…あぁあありがとうございまする。

    このお礼はいつか、必ず。

 

 

一の姫、舞台から去る。男が一人になり呟きはじめる。

 

 

男 なんとちょろいものよ。

  平穏などと信じる女よ。

  渡したものなんて何もない。

  からっぽの気持ちになっただけ。

  そしてほうれ。

  憎しみと呼ばれた心の叫び。

 

 

男は赤い土くれを拾い上げてこすり始める。すると泥が剥げ落ち中から水晶玉が現れた。

 

 

男 これは慈しみ。

  子を思う親の心。

  時間と手間を惜しまない献身の情。

  これが尊いものでないわけがない。

  その証を売り飛ばすとはもったいない。

  残念だが彼女はもう、

  我が子に対する興味を失うしかないだろう。

 

 

 第二幕 男はさらに歩く。

     間に合わないかもしれない。

     と、そこへ死んだ犬をひいて

     豪奢な服で着飾った夫人が現れる

 

 

二の姫 しくしくしく

 

 

男 はて、お前はなんじゃ。

  どうしてこんなところで泣いている

 

 

二の姫 あぁ、あぁ狂おしい。

    わたしは気がどうにかなってしまいそうじゃ。

    もどかしくてさわがしい。

    胸の中が何かでつまりきっている!

 

 

男 なんのことじゃ。いうてみんか。

 

 

二の姫 あぁ、あぁ、どこの誰だか知れないお方。

    わたしはただただ不安なのです。

    こう、胸の中に不安が渦巻いて、

    横になると身体中に染み渡って、

    満足に眠ることもできない体。

    今夜も夜明けまで椅子に座り続ける。

 

 

男 それはかわいそうに。

  どれ。お前のその不安、ひとつわしに売ってみらんか?

 

 

二の姫 どこの誰だか知れないお方。

    あなた様が不安を買いなさる!

    しかし目方は途方も無い。

    人が持ちきれるとは思えませぬ。

 

 

男 なに。どうということはない。

  わしの日々に潜む不安もひどいものだ。

  いっときの判断で数十億の利益が現れては消える。

  常人にはとても耐えきれん。

  わしはどんぶりいっぱい飲み干しておるのよ。

 

 

二の姫 ほほ。

    威勢のいい男じゃ。

    せいぜい言葉に飲み込まれんよう気をつけなされ。

    とはいえわらわは息も絶え絶え。

    乗るしかないのが渡りに船じゃ。

    なにとぞ。なにとぞ。

 

 

男 話は決まった。

  それではお前にもわしの持つ平穏を

  代わりにお支払いしよう。

 

 

女は平伏したままそのときを待つ。やがて口の中から緑色の粘液がこぽりこぽりとトメドなくこぼれ出す。

 

 

二の姫 ああぁ胸のつかえが無くなってゆく。

    もう胸の中にはなにもない。

    なにもないのだ。

    これが平穏か。

    こんなに心地よい時間は初めてじゃ。

 

 

男 もう二度と溜め込むな。

 

 

二の姫、平伏したまま退場。男は一人になる。

 

 

男 奇妙なこともあるものだ。

  これも夢の中だからか。

  おかげでこんなによいものを買うことができるのだから。

 

 

男は緑色の粘液を拾い上げてだらりと口の中に放り込んだかと思うと何度も噛んだ後にゆっくりと吐き出した。それは金色に輝く液体のように見えた。

 

 

男 これが不安の正体だ。

  人が期待と呼ぶものだ。

  心が揺れないことは、

  輝かないこと。

  どうしてそんなに大事なものを売り払うのか。

  だからわしは儲かるのだ。

  価値がわからないのはいいことじゃ。

  さて、先を急ごう、

  間に合わなければ、ことだ。

 

 

 第三幕 男がたどり着いたのは、

     闇夜にきらめくプラットフォーム。

     男の列車がそこへつき、

     猛然と蒸気をあげている。

     若い女が入り口に立っている。

 

 

男 あぁ、ここだ。ここに来たかったのだ。

  見よあの柔らかそうな車内を!

  ストーブが赤々と燃えている。

  そういえばここは寒い。極寒だ。

  わしは一刻も早くあの列車に乗るのだ。

 

 

三の姫 お待ちしておりました。

    この列車はあなたで最後ですが、

    あなたが最初です。

    ここに一枚の切符があります。

    あなたのための切符があります。

 

 

男 おぉ、おおぉそれだ。

  そのために私は稼いできた。

  昼も夜も、夢の中でも稼いできた。

  今こそ受け取れ私の財産。

  今こそ買おうぞ私の切符。

 

 

三の姫 お代を頂戴します。

 

 

男 なにがよいか。

  現金か、クレジットか。

  道中奪った、いや買い取った宝もある。

 

 

三の姫 こちら側のお代を頂戴します。

 

 

男 そんなことだと思ったのだ。

  だからわたしは貴重な時間を使って

  こんなものを集めたのだ。

 

 

男は水晶玉と黄金の液体を探すが見つからない。

 

 

男 おかしい。

  確かにここにあったはず。

  無くすはずがないものが無くなった。

  渡すはずのものが無くなった。

 

 

三の姫 その財産は誰から受け取ったものですか。

 

 

男 ここに来るときに会った女たちだ。

  いやすぐに見つけるから待っていてくれ。

 

 

三の姫 お忘れかもしれませんが

 

 

男 ここに入れたはずなんだ。

  確かにあるはずなんだ。

 

 

三の姫 この世界は全てあなたの夢の世界。

    あなたを除いて人は無し。

    与える相手もあなたなら、

    奪う相手もあなたです。

 

 

男 どういうことだ

 

 

男は涙声になる。

 

 

三の姫 ようく思い出してごらんなさい

    あなたの会った人の顔

    あなたの夢のあなたの顔

 

 

男は突然思い出す。一の姫も二の姫も、自分の顔をしていたことに。自分と取引したことに。

 

 

男 あぁ!ああ!あれは俺だったのか!

  私は俺を相手にだまくらかした!

  俺を相手に奪い去った!

  私は俺に無価値を与え、

  私を相手に大切なものを売り渡した!

 

 

三の姫 あなたは気づいていたでしょうに。

 

 

男 どうすればいい?

  まだ時間はあるだろうか?

  列車がここを出るまでの間。

  私がやり直してくる間。

 

 

三の姫 全て遅すぎるということはありません。

 

 

男は走って来た道を戻っていった。男が騙してきた自分に会いに。自分から奪った憎しみを返しに。自分から奪った不安を返しに。慈しみと期待を私に渡しに。

 

 

男 全て遅すぎるということはない。

 

 

 第四幕 男が一人ベッドで寝ている。

     季節の変わり目にひいた風邪がまだ治っていなかった。

 

     寝ている男の顔から涙が垂れる。

     男は慈しみと期待を手に入れる。

 

 

     全て遅すぎるということはない。

 

 

今週のお題「今年買って良かったモノ」

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