物語はいつも不安定

SF小説が好きすぎて

ハッピー・タイム・トラベル

「過去は変えられると思う」

 

 

教授は人一倍付き合いが悪いですし、いつも研究室にこもってばかりでしたから、陰でマッド・サイエンティストだと噂されていました。

 

 

でも私は学部生の頃から教授の助手を務めてきましたからわかっています。教授はマッド・サイエンティストみたいな人ではありません。

 

 

「もし僕がものすごい速さでここから遠ざかれば、僕に届くあなたの光は若いままだ。いつまでもあなたの、27歳と7ヶ月、14日と15時間28分20秒の姿を見続けることだってできる。さらにもし、僕がもっと速く運動すれば、あなたのもっと昔の姿だって見ることだって出来る。1秒前?2秒前?もっとだ。20歳の頃だって、10歳の頃だって。ものすごいスピードで移動ができれば可能なはずなんだ。そうしたら僕は、過去に戻れる。戻れるはずだ。だったら、過去に戻って僕は」

 

 

本当のマッド・サイエンティストでした。

 

 

「過去に戻って僕は妹の命を救う」

 

 

その言葉を聞いたとき、私は教授のプロジェクトを最後まで見届けることを誓ったのです。

 

 

「アルベルト・アインシュタインが発表したその美しい理論のポイントは、この世界では光の速さだけがただひとつ正しくて、絶対で、いつも変わらないという点です。そして秒速30万km、という速さを保つためなら、空間も、時間すらも自由に伸び縮みします」

 

 

教授の授業は生徒が私しかおりませんでしたから、だだっぴろいホールを独り占めして教授のおしゃべりを聞いていました。窓から差し込む秋の木漏れ日は金色に染まって、私はいつもハーブティーをポットいっぱいに詰めて講義を聞きに行きました。

 

 

「僕はその話を初めて聞いた時、ああ、なんて素晴らしい世界だろうって思ったんです。光の速さだけ変わらないなんて、子どもの考えたゲームの設定みたいじゃないですか。きっとこの世界を作った存在はこの世界のことをじっと見てるんです。そしてこのルールを使って誰がどんなことをするか楽しみにしてるのかもしれません」

 

 

教授の世界観は独特でしたが、奇妙な魅力がありました。毎日その話を聞いていると、宇宙の意志と教授がどんな会話をしているか聞こえてくるのです。

 

 

「この世界を作った神様は光の速さだけ正しければ他のものには無頓着です。何をどうしようが気にもかけない。私達だって光の速ささえ尊重していればこの世界をどういじくろうが許されるはずです」

 

 

講義が盛り上がってきました。私のマドレーヌを持つ手にも力が入ります。そっと前歯だけで噛みちぎりました。

 

 

「命を救ったっていいはずなんだ」

 

 

教授はあのときから今日に至るまで、ほぼ全ての時間を、過去に遡る研究に費やしておられるみたいでした。その狂気はとても純粋なものでしたから、その話を聞いて私に許された身分不相応なお金はこの方に託してもいいのではないか、と心の底から感じました。何の因果か、私はささやかで莫大な有価証券を相続していたのです。

 

 

教授の妹さんがお亡くなりになったのは妹さんが小学生のときのことだそうです。事件当時の資料を探しましたが、不運な交通事故の被害者で、不審な点は何もありません。

 

 

当時中学生だった教授は妹のためにお弁当を作ったそうです。それは兄からのささやかな愛情のしるしで、時が経っても何かの折に思い出される暖かな思い出になるはずでした。

 

 

しかし教授は慣れない手料理に手間取って妹の出発をほんの数分だけ遅くしてしまいます。だから妹さんは走って、急いで学校へ向かわねばならなくなりました。

 

 

その結果彼女は悲劇的な交通事故の犠牲者となり、教授は今の今に至るまで自分を責め続けました。癒えない傷は教授の人並みならぬ物理への愛情と交じり合い、彼女の命を救うため科学の道へ教授を放り込んだのです。

 

 

「もし許されるのなら彼女が過ごせたはずの未来を見たい。私の人生なんてそれに比べれば塵みたいなものだから」

 

 

それを聞いて私は、この人はなんて優しくて自暴自棄なんだろうと思いました。輝くばかりの狂気が眩しくて、マッド・サイエンティストというラベルを貼って国語辞典に載せるべきかもしれません。皆さん御覧ください。この方がマッドサイエンティストのお手本なのです!

 

 

でもその狂気はあまりにも美しくて純粋でしたから、その先にあるものを見てみたいとも思ってしまうのです。その意味では私も少しだけマッド・サイエンティストの素質があるのかもしれませんね。

 

 

それで教授の美しい理論に、私が創設した財団から莫大な研究資金を投下され実証実験が開始されました。

 

 

「光の速さが必ず保られるこの世界では、そのルールを破る実験をすれば必ず時間が縮みます。ですから時間が縮む場所にいれば未来へ行くのは簡単です。だけど、過去に行くことは難しいんです。時間が逆行しないとつじつまが合わなくなるほどのタキオンを作る必要があります。光は水中では見かけ上25%ほど遅くなりますが、これをもっと遅くする媒体の中で光より速く運動することができれば…」

 

 

「教授」

 

 

 「教授、もし、その、過去に戻ったら教授は何をするんですか」

 

 

「私は妹の命を救う。妹はきっと自分の人生を、彼女を待っていた本当の人生を歩くことができると思う。過去は変えられるんだ」

 

 

「過去は変えられる」

 

 

一つだけ気がかりなことがあります。

 

その頃には私も理論物理学者の端くれとなっていましたので、過去へのタイム・トラベルがどんな問題を孕んでいるか知っていました。

 

 

最大の問題はタイム・パラドクスの存在です。

 

 

もし教授が過去へ戻って妹さんを救えば、タイム・トラベル航法を開発する教授がいなくなってしまいます。すると妹さんを救うタイム・トラベルが実現しなくなってしまうのです。タイム・パラドクスと呼ばれるこの問題は教授の理論においても未解決のままでした。

 

 

「もし、タイム・パラドクスをこの宇宙が許さないのなら、必ずこの実験は失敗します。装置が爆発するか、時間の狭間に消滅するかはわかりませんが、宇宙がワープ自体を差し止めるように介入してくるでしょう。でももしそうなる運命だとしたら」

 

 

「運命だとしたら?」

 

 

「僕はとっても幸せです。宇宙と戦って塵になりたい」

 

 

うっとりとしている教授を横目で見ながら、私は妙なことを思いついてしまいました。それはタイム・パラドクスの解決法でしたが、もし実現してしまうと教授には残酷な運命が待っています。私はその思いつきを考えないように努めました。考えてもどうしようもない悩みは忘れるのが一番です。

 

 

 

・・・

 

実験当日、教授は二人分のポッドを直径20kmのドーナツ状の加速器へ浮かべて嬉しそうに言いました。

 

 

「もしタイム・パラドクスが許されないならきっとこの実験は失敗します。それでも乗りますか?」

 

 

私が怖いのは実験の失敗ではありません。むしろ実験の成功が心配なのでした。だけどそのことを教授に伝えるわけにはいきません。私もまた、彼の成功を祈っているからです。

 

 

「教授、行きましょう。過去は変えられます」

 

 

街への電力供給を不安定にしながら果たして、加速器は私達の乗るポッドの時間を歪めて、私たちは眠るように意識が消えていきました。

 

 

「起きてください。成功だと思います。」

 

 

田舎の一軒家の前に私たちは立っていました。教授は、何度も何度も何度も何度もシミュレーションしたに違いありません。私が状況を把握する間もなく家の中へ飛び込んでいきました。

 

 

教授は年若い小学生の女の子を抱きかかえて時計を見ています。その後突然走りだして、タクシーを捕まえたかと思うとその子を放り込みました。

 

 

しばらくして教授が現れた時、彼は嬉しいような、不安のような、複雑な表情をしていました。

 

 

「妹は悲劇を回避した。間違いない。妹を轢いた車は何事も無く通り過ぎたんだ。過去は変えられた。そのはずだ。ではタイム・パラドクスは?宇宙の介入は?どうして何も起こらないんだろう」

 

 

私の不安は的中してしまったかもしれません。この宇宙では、過去を書き換えた瞬間に突然全てがそれに応じて瞬時に変わるなんてことはなかったんです。つまり…。 

 

 

「戻りましょう。私達の時代に」

 

 

私達が帰ってきた時代は私達が出発した瞬間と寸分違わず、成長した教授の妹さんは、やはり影も形も無かったのでした。

 

 

私の仮説は的中していたんだと気づきました。

 

「教授、宇宙は一つではなかったんです。私達の住んでいる宇宙の時間軸は一本の線ではなかったんです。私達の行動ひとつひとつで枝分かれした、たくさんの宇宙があります。先生は、過去に戻って未来を変えようとしました。確かに過去は変わりました。けれど、教授がしたことは結局宇宙をもうひとつ増やして、妹が生きている世界を枝分かれさせただけだったんです。妹が亡くなった世界に生きる私達に影響が届くことはなかったんです。確かにこれなら、タイム・パラドクスは起きません。バック・トゥ・ザ・フューチャーは一つ間違っていました。過去は変えられます。けれど」

 

 

「未来は変えられない。」

 

 

教授は恥も外聞も気にすること無くわあわあと泣きました。私は、そんな教授を見ていっしょに声を上げて泣きました。

 

 

教授は人生を賭けて妹さんの命を救いました。でもこんなのあんまりです。

 

 

教授がたった妹さんを救った世界で教授と教授の妹さんが楽しく暮らしているかもしれません。その世界で教授は教授ではなくて平凡なサラリーマンなのかもしれません。タイム・トラベルなんて思いつきもしなかったでしょう。だけどそれはこの宇宙ではありません。だとすれば教授のこれまでの時間は無駄だったのでしょうか。

 

 

でもしばらくしてふと、私は心のなかに何やら暖かいものがあることに気付きました。その気持はぐんぐんと大きくなって、私にある確信めいた仮説がぽんと手渡されました。

 

 

「そうか。教授」

 

 

「ちょっと1ヶ月前の世界を見てきませんか」

 

 

「1ヶ月前?」

 

 

「元気な妹さんが暮らしている気がするんです」

 

 

「さっき救った妹さんが1ヶ月前の世界で元気に成長しているはずです。その方を連れてきましょう。1ヶ月後のこっちへ」

 

 

「…そうしたら1ヶ月前の世界の私たちはどうなるんですか?」

 

 

さすが教授の質問は鋭いです。私はにっこり笑ってこう答えました。 

 

 

「次は2ヶ月前から連れてくればいいんですよ」

 

 

教授をポッドに放り込む間、私は時間というものについて考えていました。過去というものは、私達を縛り付ける鎖のように考えられがちですがそんなことはありません。過去は私達を許し、和解させ、自由にしてくれることがあります。

 

 

過去は変えられる。だけど未来は変えられない。

 

 

私達が幸せに暮らすことはとっくに決まっていたんだと思うと、これまでの時間がとても愛おしいものに感じられるのでした。ああそうだ、タイムトラベルが成功したことも世界に発表しないといけません。

 

 

ああ、なんて幸せなんでしょう。

 

教授の未来だって既に決まっていたんです。

 

今週のお題「行ってみたい時代」

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