物語はいつも不安定

SF小説が好きすぎて

シモニデスの宮殿

真夏の一夜に華を添える、強烈な思い出になればいいと思っていた。いつまでも僕ら三人が覚えていられるような、そんな思い出にするはずだった。

 

 

 

 

それで僕はあの廃墟の話をした。

 

 

 

「ねえ、ここ見つけたのだいぶ前なんでしょ?よく道覚えてるよね」

 

 

 

「俺の記憶力をなめるなよ。ここまでの曲がり角、何があったか、俺は全部覚えてるよ」 

 

 

「お前の記憶力はずば抜けてるよ。道案内と、あと司法試験のために生まれてきたようなやつだ」

 

  

 

都内から深夜の高速道路をレンタカーで2時間半。僕らは肝試しにしては本気すぎる廃墟へ向かっていた。

 

 

「ねえ、なんかコツとかあるの?覚えるコツ」

 

 

「才能?っていうのは冗談で。聞きたい?シモニデスの宮殿って方法」

 

 

 

「何それ」

 

 

「いいから聞かせろよ」

 

 

 

「一度見たものにストーリーを無理やり付けるんだ。曲がり角の看板、ベンチの白さ、右に曲がった道で変な生き物がうごいめいてるとかね。できるだけ気持ち悪いものをリアルに想像するんだ。そうすると、俺はこんな夜中の道でも一回通ったら忘れない。道順も法律も何でも覚えられるし忘れない」

 

 

 

「へぇ〜、なんだか不思議。すごいよそれ。え、じゃあ例えばさ、今白い服を着た女の人が立ってたのも記憶に使ってるの?」

 

 

「え、うそ!そんなのいた!?」

 

 

「うんうん、いたいた、今この車を走って追いかけてきてる」

 

 

「ホントだ。今トランクに手かけてる」

 

 

「ちょっと待ってあき、そういうのホントやめて。今からそういう体験しに行くのにいらなくない?」

 

 

「まだ早かった?」

 

 

「そんな盛り上げなくていいから。あきが来ようっていわなけりゃ俺らこんなとこ来てないよ」

 

 

「感謝しろよ」

 

 

「ねえ、あきら、もっかいあの話してよ」

 

 

「あれ趣味悪いよなー誰が思いつくんだろな」

 

 

「聞きたい?」

 

 

「えーっとね、ずっと前に週刊誌を騒がせた話。その病院では院長先生のアタマがちょっとだけオカシくなっちゃって、入院した患者さんにね、何度も手術するわけ。何かと理由つけて。いらないのに。そして麻酔をかけてね、お腹を開いて、その度にちょっとずつ体を傷つけるんだ。血管とか少しずつ。みんな弱っていって最後には死んじゃうんだけど、亡くなった患者さんの死体にはね、みんなあるものが無くなってたんだって。それが何かっていうとさ」

 

 

「ちょっともうマジでやめて。なんでこんなとこ来たんだろ。もう無理。マジ帰りたい」

 

 

もちろん廃墟を訪れるという行為はどう考えても不法行為で、刑法130条に規定される住居等侵入罪に問われる。3年以下の懲役又は10万円以下の罰金。さらに言えば僕の司法試験受験資格も文句なく剥奪だ。

 

 

だけど僕ら3人はこうして車を走らせた。あきは僕が見つけた廃墟の話を聞いてここに来たがったし、あきが来たいと言えば僕とあきらはなんだかんだ反対しても結局は来てしまうのだ。

 

 

たぶんきっと、

 

今年で楽しかった大学生活も終わって、みんな別々の道に別れるっていうのも関係していたんだと思う。何か、ものすごいエピソードを僕らの記憶に残したかったのだ。誰も口に出しては言わなかったけど、僕たちは本当にいい友達だった。

 

 

「ここだよ」

 

 

「うわ…」

 

 

腰の高さまで届くんじゃないかと思える草むらの手前に乗り付けた。そびえ立つ3階建ての廃墟。錆びたトタンの塀。ひび割れたコンクリート。割れたガラス。闇。

 

 

あきらが言う惨劇が起きた病院。今でもどこかに患者さんのある部分がまとめて隠されているという病院。地図に載っていない病院。あるはずのない病院。

 

 

 

あきらには怖いものがないんだろうか。カメラを構えてばしゃばしゃと写真を撮りまくる。あきは懐中電灯を3本持ってきた。

 

 

「ねえ、どうしよう。電池足りないかも…」

 

 

「うそだろ。3本分あったよね。何本生きてる?」

 

 

「一本だけ…」

 

 

「それは怖い」

 

 

「最初から電池入ってなかったんだもん」

 

 

「でもずっとみんなでいっしょにいるしいいよね!ここまで来たら行こうよ!」

 

 

「ちょっと待って、やっぱ怖いよ。俺車まで戻って電池取ってくる」

 

 

「すぐ戻るから」

 

 

「よくお前車まで戻れるな。ここで二人待ってるのすら怖いのに」

 

 

車にあったはずの電池を探したけれど、どうも勘違いで最初から持ってきてなかったみたいだった。3人で1本、心細いけど、盛り上がると思えば演出だ。

 

 

「えー、二人に残念なお知らせです。最初から電池持ってきてませんでした!」

 

 

「ないわー」

 

 

「ホントないわー」

 

 

本当は車に電池がないことはわかっていた。

 

 

3人で寄り添うように入り口へ進む。ロープで遮られた入り口のドアは簡単にくぐることができた。隙間から闇が漏れてくるみたいだ。ドアノブに手をかけるとき、向こうから突然誰かの手が僕の手首を掴んできたらと妄想してしまう。

 

 

硬いドアを押して三人で中に入る。

 

 

「あぁもう無理だよヤバい。帰ろう」

 

 

「ねえちょっと何?あっちに何かいない?」

 

 

「押さないで、マジでこけそう」

 

 

3人はお互いに服をしっかりと握り締めながら歩いた。懐中電灯を動かすのが怖かった。そこに何か見てしまうのが怖かった。

 

 

廊下はグリーンのリノリウムの上に得体の知れない瓦礫が散乱している。ここは待合室だろうか。割れたガラス。朽ち果てた車椅子。破れたカーテン。足元が濡れてる。ガラスに懐中電灯が当たって自分たちの姿が映る。僕は耳鳴りが始まったのを感じる。

 

 

「もういいだろ。もう十分だよ」

 

 

「地下室まで行くんだろ?」

 

 

「ねえ、なんであそこだけ何もないの?」

 

 

僕たちは空白を埋めるように思い思いにしゃべる。こんな場所で誰が前に進ませようとしてるんだろう。押し出されるみたいに少しずつ前へ瓦礫を踏みしめた。ここまで来て帰らないのは何故だか目標みたいに響くあれのせいだ。

 

 

地下室へ行く。

 

 

誰が言い出したかもわからないその目標に向かって、僕らはドアの隙間から階段を探した。

 

 

「あ」

 

 

「ねえ」

 

 

「あそこじゃない」

 

 

あきが力を込めて僕の持つ懐中電灯の向きを変えた。

 

 

懐中電灯に照らされた廊下の先に、支柱のような柱が見える。

 

 

「螺旋階段?」

 

 

「うそ。非常階段かなんかだろ。もっとちゃんとした階段あるって」

 

 

「じゃあお前探せよ」

 

 

「この辺のドア開けんの?無理だよ怖すぎるよ」

 

 

「ねえ、入り口だいぶ遠くない?私たち帰れる?」

 

 

 ここでやめとけばよかった。耳鳴りが強くなる。イヤフォンをつけたままにしているのかと思うくらいだ。

 

 

何かと目があったらと思うと、地下を照らせない。

 

 

じっとりとした汗を感じる。

 

 

殺風景な部屋だった。

 

 

黒と白の縦縞のカーテンが張り巡らされている。

 

 

落書きだろうか。スプレーで何か文字が書いてあった。

 

 

"なんども" と読めた。

 

 

「ねえ、あっちみて」

 

 

「何」

 

 

「なんでこんなにボロいのにさ、あの鏡だけ綺麗なんだろ」

 

 

「ホントだ」

 

 

地下室の大鏡は不自然なほどきれいに保たれていた。そしてそっちに懐中電灯を向けた僕は声を抑えることができなかった。

 

 

 

 

 

映ってない

 

 

「なあ」

 

 

「俺しか映ってない」

 

 

 

ジ リ リ

 

 

その瞬間どこかで電話が鳴った。

 

 

 

「ヤバいヤバいヤバい!」

 

 

「出よう!早く行こう!」

 

 

「ひとでなし」

 

 

「引っ張るなよ!早く行けよ!」

 

 

「どっち!」

 

 

「こっちだ!」

 

 

「そっち照らすなよ!」

 

 

「離せよ!」

 

 

とにかく走った。入り口のドアで止まれなかった。

 

 

その間にあきとあきらが先を走っていく。

 

 

ああ、どうしよう。しまった。なんてことをしたんだろう。この肝試しをおもしろくしようとさっきこっそり車を動かしたんだった。あきらとあきの行く方向に車はない。

 

 

「待って!」

 

 

「そっちじゃない!」

 

 

「あき!あきら!」

 

 

「そっちには」

 

 

 

何もない。

 

 

僕だけが知っている車の位置へ走る。あいつらが戻る場所に急ごう。急いで車を出す。ええと、この道は右だ。そうだ。右から看護師の群れがやってくる。血だらけのイメージ。そうだ。次は、左か。

 

 

あきとあきらを降ろした場所へやってきた。間違いない。この場所だ。

 

 

 

早く。早く戻ってこい。どこを探してるんだ。

 

 

 

あきの服装。あきは、あきの服装は。あきらは?あきらはどんな服を着ていた?懐中電灯は?懐中電灯を持っていたのは僕だ。

 

 

あきは、あきは朗らかなやつで、3人はいっしょの大学で、あきらは幼馴染で?

 

 

耳鳴りが止まない。

 

 

どうしてあの記憶の方法をシモニデスの「宮殿」と呼ぶんだったっけ?

 

シモニデスは宮殿へ招かれた。客に詩を披露するためだ。素晴らしい詩を暗唱したのち彼は席を立つ。彼が部屋を出たまさにその瞬間に、宮殿は無残にも崩壊する。シモニデスが戻ってきたとき、彼の詩を聞いていた人たちはすべて瓦礫に押しつぶされていた。遺族が泣き叫ぶ。どの身体は誰のものなのか判別する方法がなかった。シモニデスは記憶を掘り起こす。確かに見たはずの風景を思い出す。この場所に誰が座っていて、何を食べていて、どんな話をしたか、どんな表情で、どんな眼差しをしていたか。シモニデスは遺族の手を取り、ひとつひとつの遺骸に名前をつける。この手はあなたの夫のものです。彼は確かにここに座っていました。彼女はここで笑っていました。

 

 

シモニデスは全て覚えていた。

 

 

いや、シモニデスは記憶の扉をこじ開けた。

 

 

僕はこの話を聞いたときにひとつだけ心配に思ったことがある。

 

 

 

シモニデスは彼らのことを忘れられたのだろうか。

 

 

 

僕はいつから一人だったんだろう。

 

 

 

耳鳴りは止まない。

 

 

今週のお題「ゾクッとする話」

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