物語はいつも不安定

SF小説が好きすぎて

渡したものと受けとったもの

先生はいつもあたしにだけ厳しかった。

他のみんなが外で遊び始めてもあたしだけはいっつも居残り。

あたしだけ何か怒られるようなことをしたっけ?あたしはそんなに落ちこぼれだったかな?

 

そんなことないと思う。あたしは誰よりも早く字をかけたし、みんなが間違える問題でも正しく答えることができたし。

 

といってもあたしと一緒に授業を受けてる生徒は全部で9人だけ。あたしたちはいっつも一緒だった。

 

みんなで朝ごはんを食べるとお勉強の時間。それが終わるとみんな外に遊びに行くのにあたしだけはずっと勉強が続いた。

 

日が落ちるとみんなが近くで集めてきた果物や木の実がたっぷりあった。ときには大きい魚を釣ってくる人がいて、見たこともない生き物だ、とか言って先生は慎重にそれを焼いて、それからみんなで食べた。その魚はよく釣れたから、先生は何も知らないんだ!といってみんなで笑った。

 

魚の釣り方なら先生は名人だった。先生に教えてくれたやり方で釣竿を作ったら簡単だったよ、だなんて言って。あたしにはそんなこと一度も教えてくれないくせに。

 

あたしだけ多い宿題。あたしだけ難しい本。あたしだけ外で遊べない日々。あたしだけ。あたしだけ。

 

 

先生はたった一人の先生だったから国語も算数も理科も社会も、全部先生から教えて貰った。先生は他にも病気の治し方や、丈夫な建物の作り方、野菜の育て方だとかをなんでも知っていた。午前中の勉強は楽しかった。

 

だけど私だけの時間になると授業は突然難しくなり、頭をフル回転させなければ理解できなかった。私が与えられるテキストはみんなのより断然難しかったし、出てくる単語は見たことないものばかりだ。

 

酸素、統計、イオン、恒星、タンパク質、微分、そして歴史、歴史、歴史…

 

先生の話は退屈ではなかった。だけどヨーロッパ、なんて見たことなかったから私はいつも適当なイメージをこしらえて空想した。私にとって物語と歴史は大して違わない。アラビアンナイトも英仏百年戦争も、見たことがなければおとぎ話だ。私がそのことで抗議すると先生は悲しそうにするから、普段厳しくされてる仕返しにわからないふりをすることも多かった。

 

 

あるとき先生に、電気を見てみたい、と質問したことがある。

先生はとても困った顔をして、もう少しで見せてあげられると思う。見せてあげたい、と口にした。それから先生はいっそう長い時間部屋にこもるようになった。

先生は夜になると自分だけの部屋に入って、遅くまで何か作業をしていた。

 

ああ、この質問がいけなかったんだ。この質問がどんなに残酷で、どんなに先生を傷つけたことか。私はこのときのことを思うと今も苦しくなる。先生は、本気で私を教えてくれていたのに。

 

 

ある日、先生は少し遠くまで出かけるといって私たちは先生を見送った。先生は私だけを呼んでこんな言葉を遺した。

 

「先生は今から特別な金属を探しに出かけようと思います。あなたの見たがってた電気を見せてあげられるかもしれない。アルミニウムかガリウムか、自由電子の多い金属と適当な絶縁体が大量に見つかれば、ここにある全ての機械が動くと思う。そうしたらあなたたちにはもっと便利な暮らしをさせてあげられるし、先生がいなくなってもきっと元気に豊かに、そして賢く生きていけると思う。だけど」

 

先生はしゃがんで私の肩を掴んでまっすぐに私の目を見た。強い、でも優しい目だった。私もこんな風になりたい、と思ったが、私はそれを言葉にできなかった。

 

「もしも帰ってこなかったら、このカードであの部屋に入りなさい。もっと伝えなきゃいけないことはたくさんあったんだけど、ごめんなさい。必ずまた、会えるからね」

 

先生はその後、ハッとするほど長い時間私を抱きしめると、出発した。私たちも、いつまでも手を振った。

 

先生がいなくなって、私は先生がかつてやっていたように、みんなに朝ごはんの準備をした。

 

私たちの朝ごはんは糖質を充填された粉末を水に溶かしたものだったから準備は楽だったけれど、残り少なくなっていた。だからこの土地で取れる食料が増えてきたことは本当にありがたかった。新鮮な野菜や肉が粉末の量を超え、私たちは味気ないどろっとしたドリンクより、カリッと焼けた豚やホクホクと甘い芋をほおばるようになった。

 

先生はすぐ帰ってくるとのんきに構えていた私の予想はたちまち裏切られ、あっというまに一週間が過ぎ、数ヶ月が過ぎ、今日で3年になる。

 

厳しい授業が無くなったと思って嬉しかったのは初めの何日かだけだった。私は今でも先生の眼差しを思い返す。もう見られない眼差し。もう聞けなくなった講義。

 

足の届く範囲はそこらじゅうを探したが結局先生は見つからなかった。

 

何日も先生を探して、でも見つからなくて帰ってきた晩のこと。私は先生のカードを使う決心をした。そして初めて先生の部屋に入ったとき、先生が私にだけ厳しかった理由を知る。

 

そこはたくさんの機械やつるつるした板がずらりと並んでいた。夜だというのにほのかに明るかった。

 

先生は残り少なく貴重になった紙を使ってびっしりと私たちにメッセージを書いていた。

 

「この手紙をあなたが一人で見る日が来ないことを祈っていますが、そうなってしまって本当にごめんなさい。あなたにはずいぶん厳しいことをしてしまいましたね。それもごめんなさい。このことの意味がわかると良いのですが、私たちはこの星に移住した第一世代の人類です。昔私たちはここから4光年先の太陽系第三惑星に住んでいました。そこに住めなくなった理由はこの部屋にある書物を十分に読んで、同じ過ちを繰り返さないようにしてください。この星は本当に住みやすいところです。たくさんの事故とトラブルがあってたった一人でここにたどり着いた時、私はそれでも幸運だったと思いました。一日の長さは私には短かったけど、みんなはすぐに慣れてしまいましたね。本当は私や私の仲間達が育んできたたくさんの知識、技術、哲学をあなたたちみんなに渡してあげたかった。だけど、たったひとつ、電気の欠乏によってそれを果たすことができませんでした。もし、あなたが今より強くなって、電気という目には見えない力を理解したら、また違う形で会えるかもしれません。先生もみんなみたいに小さかったんだよ」

 

残りの部分には発電の方法、集団の統率の仕方、民主主義、や裁判制度、三権分立、といった概念とそれらをどう運営していけば良いかが丁寧に、まるで先生の講義の続きのように書いてあった。昔先生から直接聞いていた頃の私にはまるで理解できなかったが、今ならわかる。

 

最後にひとりひとりの友達の性格とそれを慈しむようなメッセージが、紙からこぼれ落ちそうなほど溢れていた。もちろん、私にも。

 

先生は私たちがこの星に生きる文明の、第一走者になることを知って、考えうる全ての財産を私たちに渡そうとしたのだ。

 

その大部分はきっと電気が手に入ればきちんと伝えられたんだと思う。ビジュアルと、音声と、膨大なアーカイブによって渡されるはずだったそれは失われてしまっていた。

 

先生はだからそれをできる限り声で、自分の生命が続く限り渡そうとしたのだ。最後に先生は大きな賭けに出て、電気を使ってもっときちんと手渡そうとして、そして、力尽きたのだと思う。

 

先生が私だけ厳しく当たったのは、限られた時間でありったけのことを伝えなくてはならなかったからだ。だから私が選ばれた。あたしだけ特別に見てくれた。あたしだけ一番に信じてくれた。あたしだけ。あたしだけ。

 

先生は、前文明から渡されたバトンの最終走者として責任を全うしようとしたんだ。

 

バトンは確かに渡された。このバトンを落としてはいけない。残された知恵と技術を活かすことなく私が息を止めたら、今いるみんなは世代を経るごとに知恵を無くし、動物のような生活に陥る日がやがて来る。来てしまう。

 

これからたった9人の私たちが善きものをつくり、悪しきものを排除できるように走り出さなければいけない。生命を尊び、迷信に踊らされず、前文明の転倒をよく学ばなくてはならない。なんとかして電気を手に入れて、テクノロジーをもう一度この星に根付かせるのだ。先生にできなかったバトンを、私は今、本当に受け取った。

 

 

先生、私は立派にやれるでしょうか?

 

先生のことを忘れないよう、先生が旅立った日を永遠に記録しておこうと思う。

 

先生がケンタウルス座と呼んだこの星に、初めての暦を刻む。

 

今週のお題「思い出の先生」

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