物語はいつも不安定

SF小説が好きすぎて

紅葉を眺むれば

なにもかもがどうでもよくなって夜の新宿をひた歩いてたら怖そうなお兄さんとか酔っ払ったおじさんが話しかけてきたからちょっとずつ明かりの少ない方へずんずん歩いてわんわん泣いた。

 

 

でももう泣きすぎて歩き疲れて深夜を回って家に帰れなくなって自分がどうなっちゃうんだろうと少しだけ心細くなった頃、あの人に出会った。

 

 

背が高くてピシッとバーテンダーの格好をしたその女の人はのしのしと大通りを歩いている。

 

 

そのさっそうとした歩き方がなんだか気になって、どこへ行くんだろうとみていたらくるりと踵を返し古いビルの階段をかちかちと登って行く。

 

 

カラオケだとか漫画喫茶に吸い込まれるのはどうにも嫌な気がした私はその人の入ったビルをこっそり見にいった。

 

 

彼女はどこへいったんだろう。ビルの立て札を見るとバーがあったからそこにあたりをつけて、どこからどうみても制服姿で訳アリに見える私は入れてもらえないだろうと思いながらもその店を訪ねることにしたのが、

 

 

 

 

巡り合わせというやつだ。

 

 

 

 

「バー」という種類の店があるのは知っていたけど入るのは初めてだったから、その店がとても薄暗くて、かすかにピアノの音色が聞こえて、踏みしめるとちょっとびっくりするくらい沈み込む絨毯の感触に、ああ、ここは大人の場所なんだとすごくドキドキした。

 

 

「あの…」

 

 

あの女の人はやっぱりここのバーテンダーで、お客さんは私一人みたいだ。

 

 

 

「いらっしゃいませ」

 

 

と言ったように口が動いたみたいだったけど声は聞こえなかった。でもにこやかに出迎えてくれたその笑顔は、まるで親戚の小さい女の子を見るように暖かい。

 

 

「あの、お酒じゃなくていいので、座っていてもいいですか?」

 

 

 

「もちろん、どうぞ」

 

 

とは言われなかったけど奥の廊下に導いてくれたから私はおとなしく連れて行かれた。どこまでもふくふくなカーペットを踏みしめながら案内されたその部屋は、一人座ればいっぱいになるくらい小さな部屋だ。重たいドアをスライドしてもらって忍び込んだ。

 

 

壁に向かって置かれたテーブルとイスが一つ。小さなランプが灯っていた。私はここに座っていいんだ。

 

 

ほっとするとまた少し涙が出そうになったから、しっとりと濡れてしまったハンカチでこすった。それを見ていたバーテンダーのお姉さん(と呼ぶことにした)と目が合う。すると、

 

 

「ぜんぶわかってるから、大丈夫」

 

 

と言ってくれそうな目で私にちょっとだけ微笑むと、初めて口を開いた。ささやくように小さな声だった。

 

 

 

「あなた、誕生日はいつ?」

 

 

 

誕生日?きっと年齢を聞いているのだ、と思った私は少し迷ってから正直に言うことにした。

 

 

「10月です。10月12日。18歳になりました」

 

 

「そう」

 

 

と言いたげに少し頷いて微笑むと彼女はやっぱりささやくようにこう言い添えた。

 

 

「ならお酒は飲めるわね」

 

 

私は、

 

 

「飲めませんし飲んだことありません」

 

 

と言うわけにもいかずにだまって頷くと、彼女はほんの少ししか席の無いカウンターへ戻って行った。私はどうなっちゃうんだろう。お金、足りるかな…。でもドキドキと嬉しくなる。私は今からお酒を飲むんだ。

 

 

落ち着いてあたりを見渡すとなんだか不思議な空間だ。1人分の狭いスペースで、ランプの火は本物。イスから見える目線の高さに窓枠がぐるりとはめ込まれていて、外の景色を見ることができた。

 

 

見渡すと森。

 

 

といってもどこかへワープしたわけではなくて、なるほど。新宿御苑が見渡せるその席は、きっと森を見るための特別席だ。

 

 

 

時刻はちょうど午前1時。

 

 

窓から見下ろす森は少しずつ色づき始めていた。秋が来ているのだ。この木々に新しい葉が茂るころ、私はどこにいるんだろう。

 

 

お姉さんは平たくて薄い乳白色のお皿に平たくて薄いお餅のようなものを乗せて、とても細長いコップに色の濃い液体を注いで持ってきた。

 

 

「どうぞ召し上がれ」

 

 

とはもちろん言わなかったけど私はお姉さんのふるまいに慣れてきたから、

 

 

 

「ありがとうございます」

 

 

と口の動きとお辞儀で伝えた。お餅はとてもなめらかで柔らかくて、ハッカのような香りが強かった。じんわりと甘い生地を噛んでいると少しだけぴりっとした味がして、これが大人の味か、と思ってじりじりと大事にかじる。

 

 

私は初めてのお酒がこそばゆかったから、とても大切に香りをかいだ。甘ったるくて少し苦味のあるそのドリンクを少しずつ舌の上に広げる。私はお酒に強いのだろうか。できれば強いといいのだけれど。あの女の人みたいにきりっと優しくて。

 

 

よく見ると窓は少しだけ開けられるようになっている。おだやかに調節された部屋の空気が外に吸い込まれていって、代わりに肌をなでる空気が秋の本当の寒さを主張してる。

 

 

私はそばにあったむくむくの毛布で体を包んで、体育すわりのような格好で外の景色を見続けた。

 

 

いつの間にか現れた月は広大な森を我がものと言わんばかりに照らしはじめる。月の光を浴びた木々は暗闇から本来の姿に色づいてざわつく。私はその様子をじつと眺める。昔の人は飽きもせずにずっとこんな時間を過ごしたんだろう。

 

 

そういえば「眺む」という古語には物思いに耽るという意味があった。受験を控えた私は二度と使わない知識が象のように溜まってはちきれそうだ。それなのに、あぁ、受験勉強をしているはずの私はどうしてこんなことになっちゃったんだ。悪いのは私?構うものか。目には目を、歯には歯をだ。親しき中にも礼儀有り。沙羅双樹の花の色。盛者必衰の理をあらわす。私は酔ってるのだろうか。かくありし時は過ぎ、うつろわざる色は色にあらず。しばし今は心尽くすことのみ限りなきや。なんだか眠い。

 

 

小さく聞こゆる声あり。

 

 

「心乱すな。今はただうち休みたまへ」

 

 

・・・

 

 

ふと起くと月はとうに高く、夜長うしていつの間にか眠りければ何の刻か知れず。心地怪しく悩ましくものも言われず。かの女、来けり。いわく、

 

 

「此処は君が心なり。見たてまつれ。語りはべれ。すべて逢ふものは君から出づるものなり」

 

 

かくも奇妙なことがありしや。見上げれば森の中、ひときわ大きく満ち満ちた月。辺りを煌々と照らし、木々は刻々とその色を変えたるが、いとあはれにおぼゆる。

 

 

耳をすまさば隣の部屋にさうざうしき会話あり。かの女に導かれ、行けば、物の怪が酒を酌み交わし大声で語らふを見る。その中にしゃれこうべの物の怪が人の声にて泣くものあり。気もそぞろなりて、

 

 

「なんぞかように大声で泣かんや」と聞くも、

 

 

「我は貴君の心に住まふ、己を殺さんと願ふ心なり。汝が思い続くることは、いかで死にたまふことのみであることを泣く」とぞ言ひける。飲みたる酒は骨の間を伝って床に落つ。

 

 

「なんぞ死にたきと思ふぞ」と問へば、

 

 

「貴君のみが知る」と答へて涙浮きにけり。

 

 

また、あるものは童子の姿にてひたすらに酔ひ掌を打ち鳴らして猛々しく笑ふ。

 

 

「なんぞかように笑いたまえり」と問へば、

 

 

「我は汝の持つ人を愛する心なり。ただかくのごとき稚児の姿をしけるはその幼さが映る鏡がごとし。自らを愛しと思ふ幼稚さよ。それがおかしうておかしうて」とまた手を打ち笑ふ。

 

 

童子は酒をしばし舐めたかと思へばやがていぎたなく眠りたまふ。 

 

 

自身が心の姿にしみじみと情をおぼゆれば、童子を着物で覆ひて髪を撫で、しゃれこうべと語らひにけり。

 

 

しばし後に、かの女、部屋の隅を指したまひて、下る階段を示す。

 

 

「此処の先は君がよろづのおどろおどろしき心が住まふ。いかんせん」と誘ふ。

 

 

心寄せた物の怪がいとほしく、ししと泣きぬれば、意を決してこう答ふ。

 

 

「既に会ひし二匹の物の怪は私の代わりなき魂なり。死と愛とは全き根たる心たれば、この二匹を打ち捨てて先へ行くことあたわず。ただここに止まりて我自身と話をしたくはべり」

 

 

かの女、にこりと大変いみじく笑ひにければこう、のたまふ。

 

 

「その意気や善し。此処は汝だけの大切なスペースにて、いつでも辛くなったら帰っていらっしゃい。葉っぱが色づく頃に、また会いましょう」

 

 

「ゆっくりおやすみなさい」

 

 

・・・

 

 

気がつくと私は席でぐっすり眠っていた。時計を見ると午前4時を回ったところで、吐く息が白くなる。

 

 

くるまっていた毛布が2枚に増えていた。

 

 

長かった夜は終わりを告げて、森を含んだ暗闇が遠くから薄められてゆく。今日が始まる。私だけの1日。命を燃やす時間。死への第一歩。

 

 

 

私はこの景色を、今の気持ちを、初めてのお酒の味を、いつまでも覚えていようと思った。

 

 

 

朝が来たのだ。

 

今週のお題「お気に入りの紅葉スポット」

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