物語はいつも不安定

SF小説が好きすぎて

君と私のエレクトリカル・パレード

タケシの持つたった一つの欠点は致命的だった。

 

 

彼のスイングは素人の私が見ても惚れ惚れするし、腕力は同世代より頭ひとつ飛びぬけてる。彼がバットを振ると木から葉っぱが散って鳥の群れが逃げ出したから、私は目をつむってスカートを抑えて風が鳴り止むのを待たなきゃいけなかった。あ、すごい。竜巻起きてる。

 

 

でも、

 

彼はここぞというときはかわいそうなほどに緊張して本来の力の9割引大セールをやらかすんだ。主婦のみなさんもびっくりの安売りしてどうすんのタケシ。

 

公式試合でバッターボックスに向かうタケシはかわいそうなほどびくびくしてて、保健室へ運びたくなった。バットはかろうじて小指にひっかかってて、足は少し内股で、小走りでバッターボックスへ歩いて行った。何かに追われているのかもしれない。

 

そういえばこの前NHKで見た生まれたての小鹿がこんな感じだったな、と思い出したから、きっと球場全体が生まれたてのタケシを見ている気分じゃないだろうか。大丈夫かな。ちゃんとバッターボックスまで行けるかな。

 

判で押したように3回。ピッチャーがキャッチャーとボールを投げかわすとタケシは三振を記録するので彼はさらに元気を無くしてベンチへ戻って行った。帰りのタケシを見ていると皇帝ペンギンの赤ちゃんを思い出したから私は少しだけあったかい気持ちになった。よちよち歩き!

 

彼はそんな風に見る人の母性をくすぐったけど、本人にとっては笑い事じゃすまなかったみたいだった笑 緊張を克服するために瞑想だとか、書道だとか、ありとあらゆることを試してた笑 本人は否定してるけど絶対滝には打たれてると思う笑 だめだめ、笑っちゃいけません!

 

焦りが高まるとタケシは深夜だろうが早朝だろうがたった一人で練習に行く。私たちはたまたま同じマンションの同じ階に住んでいたから、変な時間に彼の家のドアが開くのを私は知っていた。彼はすごく頑張っているのだ。なんとかしてあげたいって思うんだけど。

 

思うんだけど、私に何ができるんだろう。彼が本番のときに私ができることなんて…。あ、あたし吹奏楽部じゃん。試合で演奏してるじゃん。

 

 

・・・

 

そんなわけであいつに緊張をほぐす音楽を演奏してあげたいと思うけどどうだろうか、という申し出をすると、彼はすごくそわそわした。

 

でも、しばらくたって忘れちゃったかな、と思った頃、彼は「この曲を弾いてもらえないか」と曲名を紙に書いてきた。よしよし。

 

その曲は私たちが小さい時に流行った曲で、私もすごく好きなやつだ。あんまり覚えてないけど私たちはこの曲を歌いながら一緒に学校に行ってたらしい。うわあ懐かしい!

 

この曲を試合で演奏する!彼は緊張が解ける!本当の力が出せる!すごい!見えた!見えたよタケシ!

 

試しに一度、彼の練習試合に私は腐れ縁の後輩エリを若干1名引っ張り出して演奏しに行ったことがある(私はオーボエだったからメロディやれる人が必要だったのだ)

 

そのとき彼は尋常じゃないほど恥ずかしがっていたけど、こっちだって遊びで演奏しに来たわけじゃないのである!照れるヒマがあれば黙ってホームランをかっ飛ばせばいいのである!

 

実験の結果、意外なことが判明した。私とエリは二人でAメロから楽しく吹いていたんだけれど、Aメロもサビも彼の緊張を吹き飛ばすことはできなかったのだ。むー。

 

でも諦め半分でずっと演奏していると、2番のBメロからの間奏明けを吹いたその瞬間、私たちは球場に鳴り響く快音と、遥か彼方に消えてゆく白球を目にした。うっそでしょ!

 

その後も演奏がBメロからの間奏明けにさしかかると、おもしろいように彼は白球をフェンスに突き刺すのであった。(試しに途中で演奏をやめると彼はフライを打ち上げた。楽しい)

 

これは大発見だ!Bメロからの間奏明け!

 

すぐに私はこれを彼のテーマソングにして演奏することを顧問に提案した。が、しかし悲しいかな我らが顧問はこの完璧な計画に潜むたった一つの痛ましい問題を見つけたのである。

 

 

「タケシくんがそこまで打席に立ってられるのかしら…」

 

 

そうだった!タケシは打席に立ってからアウトまで異常に早い。緊張した彼はとんでもない悪玉にフルスイングをかまし、絶好のチャンスボールをじっと眺める才能があったのだ。あほ!

 

かといってBメロからの間奏明けだけ演奏してもダメだった。彼の脳はきちんと今何番か判別しているみたいだ。突然間奏を聞かせても緊張は解けない。まるで私たちの小賢しい企みをあざ笑うかのように三振に倒れるのである。くぅ、なんて頑固!

 

でも私は諦めが悪かった。バッターボックスに立ったタケシに時間稼ぎは期待できない。彼が本番でストライクを重ねる才能は本物だ。私のテーマソングで解決するしかない。

 

 

Bメロからの間奏明けの何がタケシの緊張を消すんだろう。メロディライン?それともコード?タケシの頭の中が知りたい。タケシ。待っててね!私はぜったいこの謎を解いてみせる!私には地味なオーボエを選んでしまった、意地がある!あと幼馴染の誇りとかそういうの!

それから私の試行錯誤が始まった。

 

 

スマホアプリ「脳波くん」を使って彼が2番のBメロからの間奏明けのときの脳の状態を調べると、膨大なα波とβ波の複雑な波形が見て取れた。これは確かに軽い酩酊状態にも似た、緊張をほぐす効果があるだろう。長い間の夢がかなったような、そんな状態。

とにかくこの状態を簡単に再現する方法を見つけないと。彼がストライクを3つ重ねる前に。彼の高校最後の夏が終わる前に。彼が野球を諦めてしまうその前に。

 

 

この曲を少しずつ切り詰める作業が始まった。これは私の音楽的才能と彼の脳との戦いだ。私は擬似的に最短でBメロからの間奏明けを再現し、彼の認知機能をごまかさないといけない。そんなことできるのだろうか?希望はあった。

 

音楽というものは。

 

音楽はある特定の音にカブった音は消してしまってもきちんと聞こえることがわかっている。そんないらないデータを消して圧縮できたのがMP3という音楽データだ。だったら、もっと消しても同じ効果が出るんじゃない?このコードは必要?この休符は短くしていいの?タケシの脳だけが答えを持っていた。

 

ヘッドセット(タケシ付き)と私のスマホをつないで私は何度も何度も彼のテーマソングをテストした。休みの日には大学の認知療法の講演を聞きに行ってノートを取ったし、もっと精密な脳波を測定するために大学の付属病院でMRIを貸してもらった。(お父さんありがとう)そう、私は凝り性なのだ。

 

その甲斐あって少しずつ彼のテーマソングは短くなり、彼の認知機能がBメロからの間奏明けを認識するまでの時間は1分4秒まで短縮された。64秒。

 

彼のシナプスにこびりついた緊張という名の結線。その呪われたニューロンに流れるナトリウムイオンの放出をくい止めるまでにどうしても64秒かかった。私が作ったテーマソングが彼の脳神経チャネルをこじ開ける限界時間だ。

 

 

私の研究に付きあわされた腐れ縁の後輩、エリが分厚い『機能障害におけるナトリウムチャネルの解放と併設』を閉じた。あ、すごい。英語で読んでる。

 

 

「センパイ、64秒持つといいですね…」

 

 

「エリ、ここから私たちにできることは、このテーマソングを精一杯演奏することだよ」

 

 

「センパイ…」

 

 

「魂込めよう」

 

 

「はい!」

 

 

エリは断ることを知らないいい子。

 

試合当日。私は生まれたての小鹿のようなタケシを見ながら深呼吸した。

 

 

待っててねタケシ。あなたの緊張を私が地平線の彼方まで吹っ飛ばしてあげる。

 

 

演奏が始まった。

 

64秒の時間はそれでも長かった。吹奏楽部のみんなは一生懸命演ってくれてる。だけど、ダメだ。タケシは光の速さで1つ目のストライクを重ねた。

 

 

このままでは間に合わない。

 

 

考えろ。考えろあたし。どうして?どうして彼は2番のBメロからの間奏明けに反応するの?そこに何かあるんじゃないの?

 

 

ダメ。どうしよう。タケシの2つ目のストライク。タケシ。タケシの本当の力はこんなものじゃない。私はそれを、それを見られない?

 

 

そのとき、私の神経回路に走ったことのない電流が轟いた。伝わったことのない経路をたどって、軸索を飛び越えて、この数十センチ四方に収められた長い長い電流が駆け抜けた。ごくたまに人間に訪れる気まぐれなフラッシュ。ひらめきと呼ばれる一瞬の閃光。私とタケシをつなぐ糸。

 

 

 

歌詞だ。

 

 

 

私はオーボエを放り投げると両手を口に当てて、2番のBメロからの間奏明けの歌詞を叫んだ。タケシに届くように。タケシの脳に私の閃光が届きますように。

 

 

 

「大好きなのよ あなたのことが ずっと」

 

 

彼の体が少しだけ軽くなったように見えた。彼に聞こえた音声は緊張でガチガチになったナトリウムイオンを静かになだめて、拭い去った。

 

その刹那、私の眼に映った画像が電気刺激に変換されて脳に送られる。それは私の見まちがいかもしれない。私がただ見たかった画像なのかもしれない。だけど私は彼の口がこんな風に動いたように見えたんだ。

 

 

 

「俺も」

 

 

放たれた白球はタケシの轟音を張り上げるバットの真芯に食らいつき、見るも無残なほどたわみ、ひしゃげ、パンケーキみたいな形に歪んだのち、反対側の大空に一直線に弾け飛ぶ。少し遅れて金属と硬いボールの衝突で生じた音エネルギーが響き渡る。

 

 

速度を落とすことなく場外に吸い込まれていった白いボールを見て、私は胸が詰まってその場に座り込んだ。

 

今週のお題「私のテーマソング」

f:id:pasapasamedia:20151014103202j:plain