物語はいつも不安定

SF小説が好きすぎて

恋は自動応答

3年付き合った年下の彼女にうんこのようにフラれたのが15時間前のことである。

 

必死で食い下がる僕を見る目は道端にあるうんこを見る目と大差なく、自分が本当にうんこではないかと怪しくなったから10分に1回くらいは自分がうんこでないかどうか確かめた。

 

 

うん、大丈夫。うんこじゃない。

 

 

結果として彼女の気持ちは揺るがざること山の如し。

 

さらに次の彼氏候補がいるようで、新しい恋へ旅立つこと風の如し。

 

 

まだお店が混み合う前に話が終わってしまったものだから、たった一人残された僕はとりあえずメニューの端から端までのお酒を一つずつ頼むことにしたところまで覚えている。その後は覚えていない。

 

 

さて、古今東西、古代エジプトから平成の日本まで失恋の痛手に効く薬は二つしかない。

 

「時間」と「新しい恋」である。

 

その他のものはすべからくただの麻酔でしかないが、当事者がこのことを理解しているケースは多くない。

 

時間はコントロールされずに流れるものであるし、恋はコントロールできずに落ちるものだ。人は恋に落ちるときに落ち、落ちないときは落ちない。したがって失恋の痛手に対して人間に有効な手だては何もない。

 

 

しかし僕も大変一般的な普通の冴えない男性の一人であるからしてそんな達観はしていなかった。

 

あちらこちらに頭をぶつけてもんどり打って後悔と悲しみの大波に身悶えしてばしゃばしゃやっていたのであるが、「会社を1週間休んでアフリカで象と遊ぶつもりだ」と同僚に打ち明けたところ、「それはいけません」と丁寧に止めてくれたその子には心より感謝している。

 

 

象さん、遊んであげれなくてごめんね。またね。

 

 

さて、事件というものはこうして心がざわついている隙を狙って忍び込むものだ。深酒に継ぐ迎え酒で頭が朦朧とする中、息も絶え絶えで水道の蛇口をひねると水が出なかった。

 

 

水道料金の請求が来ていることはわかっていたのだが、失恋したのだから水道くらい払わなくていいだろうと思ったような気がしないでもない。

 

 

そのことをとりあえず同僚に告げると、ここに電話して開通してもらえと御丁寧に電話番号まで送ってくれた。お金を払いますと謝れば水が出てくるそうだ。

 

その後「失恋したからといって水道料金を払わなくていい訳ないし、いい加減まともな生活をして立ち上がれ」という趣旨のメッセージを送ってきたこいつはいいやつかもしれない。

 

さて、彼女が教えてくれた電話番号へかけると自動応答サービスであった。質問に正しく答えないと人の出てこないあれだ。

 

「こちらは、---水道局です。お引越し、水道の契約開始、停止に関する場合は1を、水道料金の支払い方法については、2を…」

 

 

コストダウンと効率化の時代なのだ。水道局だって失恋で水道料金を支払わない男とおしゃべりするほど暇ではない。

 

「水道料金の支払い方法の変更、手続きに関しては1を、水道料金の金額に関するお問い合わせは、2を…」

 

 

しかし自動応答にはたまにこう、難しい質問が現れる。僕のケースは支払い方法の手続きに関するとも言えるし、金額に関するお問い合わせと言えなくも無い。こうした場合、オペレータにたどり着くための選択肢はどちらか、と考えるのが最善手であろう。僕は少し迷って2を押した。

 

「お客様が男性である場合は、1を、女性である場合は、2を…」

 

この質問は何だろう?マーケティングか何かに使われるのだろうか。特にこだわりなく1を押した。

 

「水道サービスの停止が、水道料金の不払いによるものである方は、1を、やむを得ない理由により停止した方は、2を…」

 

ここで間違うとこの長いナレーションをまた始めからやり直しになるので、僕は慎重に1を押す。

 

「不払いの理由が、

仕事の悩みによる方は、1を

支払い忘れ、請求書の紛失による方は、2を

多忙による時間的余裕の無さによる方は、3を

友人、親族のご不幸など、心理的ストレスによる方は、4を

飼っているペットの病気など、人間関係以外の理由の方は、5を

水道料金を払うことができない、宗教上の理由がある方は、6を

交際していた異性との失恋が原因であるしょうもないあなたは、7を

特に理由がない方は、8を…」

 

ちょっと待て。この質問はなんだ。

 

何か不思議なことが起き始めていることに気づいた。このケースで僕は7である。まごう事なき、7であった。押すのか。押すだろう。僕は水道料金が払いたいだけなのだ。

 

 

「まだ、彼女の事が忘れられないという方は、1を、もう吹っ切れたという方は、2を…」

 

そうきたか。

 

 

このシステムが僕をどこへ連れて行くのかは見当もつかなかったが、僕はとことんやろうと決意した。なぜってひとえに朝から晩まで僕は暇なのだ。1を押す。

 

「自分にも悪かったところがあったかもな、と思っている方は、1を、いいや、全部彼女のせいだ!女はみんな敵だ!と思っている方は、2を」

 

僕は素早く2を押した。

 

「ご利用、ありがとうございました。」

 

電話はそこで切れた。

 

…なるほどそうか。

 

 

この電話応対サービスは正解し続けないとオペレータにはたどりつけない仕組みになっているのだ。僕と自動応対サービスとの戦いが、幕を開けた。

 

 

・・・

 

「ときどきはきちんと愛情を言葉にして伝えた方がいいと思う方は、1を、言葉にしなくても伝わるのが愛だ、と思っている方は、2を…」

 

「もし、忙しくて彼女からの連絡が減っていたときには電話で話す、という方は、1を、向こうから…」

 

「相手の趣味がちょっと自分と合わないなと感じた時に、それを相手といっしょに…」

 

「女の子の話は適当に相槌を打って聞いておけばいいと考えている方は1を、親身になって…」

 

僕は正しい答えを探しているうちに少しずつこの機械音声の彼女を理解し始めていた。一見世間に合わせているが、その実とても素朴で、相手の気持ちをすごく大事に考えるような子だ。それがこの自動応答ガールなのだ。

 

「例えば二人で初めてデートでいったときに、女の子の方が大遅刻してしまったとしますよね、そのとき連絡がつかなかったらけっこうキツめに怒るという方は1を…」

 

「日曜日とかにピクニックに行こうってなったらけっこう早めに起きてお弁当とか準備してもらったら嬉しいという方は1を…」

 

数百に及ぶ質問を正しく解答し続けた。今ならわかる。こんな風に誰かのことを考える時間が僕には足りなかったのかもしれない。以前の僕がうんこのようにフラれるのも当然なのだ。

 

少しずつ、自動応答ガールの気持ちがこちらに近づいていくるのがわかった。 

 

 

「こんな風にいろいろ聞いてくる女の子は嫌だな、と思った方は、1を、別に全然大丈夫だよ!と思った方は、2を…」

 

 

僕は試しに自動応対にしゃべりかけてみる。

 

「ホントは誰かそこにいて、この電話を聞いてますよね?」

 

・・・

 

 

「いいえ、この先に人がいて聞いてるなんてことはありませんよ!という方は、1を、そうでない方は…」

 

 

やはり間違いない!そしてきっとこの先にいるのはあの子ではないだろうか。

 

 

ついに終わりがやってきた。

 

 

「あたしと話してみたい、という方は、1を、まだわかんないや、と思った方は、2を…」

 

 

僕は心を込めて1をタッチした。

 

電話のコール音が鳴る。

 

 

「…もしもし?」

 

 

「…さん、何やってるんですかこんな手の込んだことして。」

 

 

「うふふ。元気出たでしょ?」

 

 

こうして僕は恋に落ちた。

 

今週のお題「結婚を決めた理由」

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