物語はいつも不安定

SF小説が好きすぎて

書かれた世界

もしあの本に出会っていなかったら、と思うと今でもそわそわする。

 

こんな文章を書くこともなかったし、自分に疑問を抱くこともなかったに違いない。

 

本から受ける影響がいいものばかりなんて嘘っぱちだ。いずれにせよ僕は見つけてしまったのだし遅かれ早かれ読んでいたに違いない。

 

そんな本が、世の中にはある。

 

 

・・・ 

 

家の近くに古本屋があった。どうやって成り立ってるのか不思議なくらい客はいなかったが、しかし居心地がよかった。

 

きっかけはなんだったか。どこを探しても雲ひとつない秋晴れで、運動会がそこらじゅうで行われてそうな休みの朝、僕は何か食べに外に出て、その古い本屋を見つけた。3階建てのボロボロのビルだった。

 

店の入り口は小さくて、ぎりぎりまで本が積んであったので、体を小さくしないと入れなかったそれは不思議の国のアリスみたいだった。僕も身をよじって慎重に体をねじこんだ。

 

一度入ってしまうとその店は意外なほど奥行きがあり、うず高く積まれた本が両端から迫ってくる。

 

両端から徐々に狭まる本の柱は天井近くで1つになり、異様なバランス感覚でアーチを描いていた。本はレンガのように互い違いに積まれていたから、全ての本が壁であり、天井であり、テーブルだった。

 

「古代のアーチ工法をまねたんです」

 

奥に座っていた若い女性が教えてくれた。アルバイトだろうか。いたりいなかったりの適当な経営みたいだったが、その後この店のオーナーであることがわかる。名前は皆川さんといった。

 

「本でアーチを作るのはものすごく難しかったんですけど、安心してください。とても頑丈です。ただ、本を引き抜くときは気をつけてくださいね」

 

 

「本を抜いたら崩れるからですか?」

 

まるでジェンガだ。

 

「いいえ」

 

皆川さんは奥のカウンターで本に埋もれて座ったままこういった。

 

「このアーチは微妙に重みのかかり方が変わるんです。気温とか、湿度とか、時間の経過とかで本にかかる重量が変わります。昨日簡単に出し入れできた本が今日はびくともしないなんてことがよくあるんです。それで、ちょっと不思議なこともあって」

 

「不思議なこと?」

 

 

「なんというか、簡単に引き抜ける本は、その人が読んだほうがいいすごくいい本なんです」

 

「本が人を選ぶ?」

 

「そういうことかもしれません」

 

「じゃあ簡単に引き抜けない本は?」

 

皆川さんは、とてもチャーミングな笑顔でこういった。

 

「絶対読まないほうがいいかも」

 

まあ、おまじないみたいなものです、といってフフフと笑うこの古本屋が僕は気に入った。

 

それからというもの、僕は毎週日曜日の午前中、本のジェンガを始めることとなる。

 

指でつつけば引き抜けるかどうかはすぐわかる。そしてなかなかどうして、簡単に引き抜けた本はとても素晴らしかった。

 

 

店には革張りのソファがひとつきりだったから、そこに腰かけて本を読んだ。どこまでも沈んでいきそうなやわらかいワインレッドのソファに包まれていると、外の世界のことを忘れてしまいそうだ。

 

皆川さんは気が向くとそのとき旬の果物をソーダに浮かべて持ってきてくれたから、僕はりんごをしゃくしゃくとかじりながら「古代の魔法、現代の科学」を読んだものだ。

 

通い始めて1ヶ月もしないうちにおまじないは本当かもしれない、と思い始めた。

 

仕事で落ち込んだときには『偉人たちの失敗』が慰めてくれたし、『人間は走るために生まれてきた』を引き抜けた日には、午後にラン・シューズを買って汗を流した。

 

 人生に潤いを与えてくれた本当の本との出会いに代わりはきかない。僕を変えてくれる本を探して夢中な時間は幸福そのものだったと思う。

 

そうなると、どうしても気になることが出てくる。

 

引き抜けない本には何が書かれてあるんだろう?

 

外が本格的に寒くなってきたある日、僕は一番引き抜きにくい本を探し出した。皆川さんは果物を買いに出て不在だった。というより、なんとなく後ろめたくてその時間帯を狙った。

 

 

どうも引き抜けそうにない本は見つけていた。

 

壁の隅にはさまった分厚い本。革の装丁でとても古そうだ。僕は借りてきたジャッキの鉄の板を上下に差し込むと、ハンドルを回して本の上端を持ち上げる。

 

 

『あなたがいる理由』

 

裏面にはこの本の値段が書かれてある。消費税が印字されていないところを見ると30年以上前に発売された本だろう。

 

いつものソファに腰掛けた。外は雨が降り始めたみたいで、冷気が店に滑り込んできた。

 

その本は予想に反して、童話みたいな物語だ。女の子の主人公が自分の生まれてきた理由に疑問を持ち始める。そこでいろんな人にそれを聞きに行くという話だ。

 

不思議なのは少女が質問しに行く相手だった。友達や村の大人に虫や自然、さらにはもう死んだはずの昔の人や、インターネット、宇宙人に質問をして回る。インターネット?

 

少女は未来の自分だと名乗る女の人に質問をした。

 

"ねえ、だとしたら私は何のために生まれてきたの?"

 

"これを教えるのは少し酷かもしれないけれど。あなたはね、本当に生きている女の子じゃないの。君はある本に出てくるキャラクターで、紙に印刷されたインクなの"

 

"私はこうして息をしているのに?ちゃんと心があるのに?"

 

"それはこの本を書いた人があなたにそうさせているだけ。そして、この本の目的は、私たちの物語を読んでる人に、自分の生まれてきた理由を考えさせることなのよ"

 

"どういうこと?今の私を読んでる人がいるの?"

 

"そう。その人は古本屋の片隅で革張りのソファに座って君の物語を読んでるわ。男の人。外は雨が降ってて少し寒い"

 

僕は一度本を閉じる。何が起きているんだろう?本に書かれた物語が読者のことを描写している?

 

この本自体、皆川さんのしかけた一流のジョークにすら思えた。彼女はこの本に合わせてソファと本を準備したのだろうか?僕は本の続きを開いた。

 

"その人はこう思ってるの。どうして僕のことがわかるんだろうってね。だけど読み進めるのをやめられない"

 

"ねえ、みんなは?私にも友達や家族がいるのに、それも全部インクなの?"

 

"そう。だけどそれは素晴らしいこと。君のおかげで君の物語を読んだ人が初めてこう思うのよ。『おかしいぞ。こんな風に言い当てられるということは、何か不思議なことが起きているに違いない。きっとこの誰かがわざとこういう本を準備したんだろう』って"

 

僕は読み進めるのをやめることができない。

読んでいる本に自分が登場する。こんなことがありえるだろうか?

 

"それがありえるの。皆川さんは果物を買いに行ったきり帰って来ない。どうして帰ってこないかわかる?あなたがこの本を読むのを待ってるんです。あなたがこの本を読み進めるのをじっと見ているんです"

 

本の中に皆川さんの名前が出てきた。どんなトリックを使えばそんなことができるんだろう。この本は皆川さんによって書かれたイタズラなのだろうか?

 

"正解に近づいています。でも、こんな風には考えられないでしょうか?"

 

 

"あなたもまた、ある物語の主人公だとすればどうでしょう。自分がたまたま手に取った本に自分が出てくることも、あなた自身が創作の登場人物ならありえます"

 

 

僕は本の登場人物と会話をしていた。僕自身が物語のキャラクターである可能性。そんなことあり得ないと思っても、今起きていることに説明がつけられない。

 

"僕自身が何かの物語のキャラクターである可能性。そうです。あなたを都合よくこんな目に合わせている創作者がいます。ここにいる女の子と私の本は、あなたにそのことを伝えるために書かれたんです"

 

じゃあ僕は?僕はどういう目的で書かれたんだ?

 

 

"あなたは紙の上のインクではありません。インターネットのブログに書かれたテキストデータ"

 

女の子もこう続けた。

 

"おじちゃんもいっしょなんだね。『あなたの生まれた理由』が、ちゃんと見つかるといいね"

 

気がつくと、皆川さんが横から覗き込んでいた。

 

「皆川さん、この世界は誰かに書かれた物語なんですか?」

 

「あなたがテキストデータで私が著者。知って欲しくはなかったけれど、あなたのブログを読んでいる人が今もいるの」

 

「皆川さん」

 

「はい」

 

「あなたがこの世界と、そして僕のことを創作したんですね?」

 

「はい」

 

「じゃあ、例えば今すぐこの雨をやませて空に虹がかかって猫が僕の腕の中に飛んでくるって書けばそれもできますか?」

 

皆川さんはにっこり笑って頷いた。

 

そして雨は止み、きれいな虹がかかり、ふくふくとした猫が僕の腕に飛び込んできてにゃあと鳴いた。くりくりとした目は僕の目を見つめていて嬉しそうだ。ついでに飛行機が飛び交い雲でおめでとう!と空に文字が書かれ花火が打ち上がった。

 

 

信じなければいけないときがきた。

 

 

僕は物語の主人公。

 

 

でもそれも悪くないかもしれないなと思う。 

 

 

最後にふと思いついた疑問を口にする。

 

 

「皆川さん、僕をインターネットの記事として読んでいる世界はどうなんですか?誰かに何かの目的で作られたもの?」

 

 

皆川さんはできのいい生徒を褒めるようににっこりと笑って、人差し指を一本口に当てて、こういった。

 

 

「ひみつ」

 

今週のお題「人生に影響を与えた1冊」

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