物語はいつも不安定

SF小説が好きすぎて

写真名人伝

群馬の山の端に住む木庄という学生が、天下第一の写真の名人になろうと志を立てた。天下で何事か成し遂げるため重要な才覚はひとえに情熱と時間である。雨垂れでも同じ場所に着地し続ければ岩をも穿つ。

 

その点木庄はまだ15にならない若輩者で時間については言うに及ばず、また情熱にかけても申し分なかった。彼は女人にモテたかったのである。

 

己の師となるべき人物を物色するに、隣町の山合いの中に非常な才を持つ写真の名人、肥永という男の噂を聞いた。

 

木庄は若さゆえの行き当たりばったりな性分から、木立生い茂る森にある、破れた小屋の戸を叩く。

 

すると肥永とおぼしき男がのっそりと現れた。

 

「教えてやっても構わんが、カメラの道は細く険しい。まずはその仰々しいコンパクトデジタルカメラを遠くあの谷の底へ放り捨て、カメラの構え方から学びたまえ」

 

木庄は根が単純な男であったからそれを聞いてなるほどと思い、コンパクトデジタルカメラを遠くあの谷の底へ放り捨て、存在しないカメラを構える腕の形を保って生活し始めた。

 

視線を落とさず竹の筒で粥をすすり、本は壁に釘で打ち付け朗読した。寝床に入って構えが崩れてはいけないと、天井から細い鉄の糸で腕を釣っていびきをかいた。

 

すると二回目の秋を跨いだ頃からか、木庄の腕はカメラを構えた姿勢から容易には動かし難くなり、満杯のコップでも彼が持てば、例え全力疾走したとしてもコップの水面は波が立たなかったものである。

 

それを発見した木庄は得たりと膝を打って師の元を訪ねた。

 

「構える技は覚えたようだが、それだけでは十分でない。写真を撮るとは動いているものから止まっている瞬間を取り出すことだ。」

 

そう言って肥永は小屋の奥から米を一掴み取り出してきたかと思うと目の前でさらさらと盆にぶちまけた。

 

「721」

 

木庄はまさかと思いながらその米粒を数えてみるとそれは確かに721粒であった。木庄は靴を履くのももどかしく小屋を飛び出した。

 

木庄が選んだのは砂時計であった。きっかり3分間落ちる砂粒を数え終わると、木庄はそれを上下にひっくり返してまた砂粒を数え始めた。

 

木庄はすぐに砂粒が合計14,309粒であることを見抜いたが、それでも飽かず砂粒を数え続けていると砂粒の落ちる速さがのろく感じられることに気がついた。

 

しめたと思い見果て続けること、はや幾年。あどけなさの残る木庄の顔に青年らしい精悍なりりしさが備わった頃のこと、木庄は極めてのろく砂粒が落下をし、その気になりさえすれば狙った砂粒をつまみ上げることさえできると自信を持った。

 

久方ぶりに木庄が表へ出てみると、そこでは鳥が空に固定され、人々は恐ろしく低い音でうなるような声を発して、世界は動きを止めていた。

 

ある雨降りの日のことである。木庄は修練の成果を師に見せんと戸を叩いたが、雨粒をよけながら歩いたために木庄は土砂降りの豪雨の中傘も刺さずに濡れることがなかった。

 

それを見た肥永は「善し」と一声上げ、この我慢強い愛弟子に奥義を伝授することを約束したのであった。

 

それから7日余が経ち、この優秀な生徒は砂漠を彷徨った旅人が水を飲むように数々の写真機の秘伝を会得する。

 

木庄があるとき長い時間野球部の試合を観察し、たった一回カメラを向けてシャッターを押し込むと、木庄の捉えたそのたった一投の白球は見事打者の持つ棒の真芯を食い外野へと運ばれたので、逆転サヨナラ場外本塁打となった。

 

木庄の観察によれば筋肉の緊張、投手の威勢、打者の視線の動きをつぶさに見ることで、その瞬間が何か起こる瞬間なのかそうでないか、判別はわけもないことであった。

 

またあるときはふと戯れにこれまで一度も足の向かなかった期末考査の試験に挑んだ。木庄は勉学の腕を試すわけではなかったがその場で何度か瞬きをしたかと思うと猛然と筆を走らせた。

 

木庄の眼には遠く離れた学友の、小さく密に書かれた文字も、自在に読むことが可能であったのだ。

 

木庄の撮る写真が大胆な情景の、繊細な一瞬間を切り取ったとき、彼の名声はあまねく全国へ轟いた。それを受けて師は弟子にもう教えることはないと告げた。

 

「しかしこの大きな海を7つ超えた先にはさらなる写真機の名人が住むと聞く。木庄よ。もしも貴君の情熱と時間があれば、それを我が身に取り入れることも可能かもしれん」

 

木庄は礼を言って師と自らの写真を撮ると、さらなる高みを目指して旅へ出た。行き先は名もなき小さな島であった。

 

彼は向かうところ敵なしといった風情で砂浜に佇む老人へ声をかけ、求むる人物の所在を問うた。するとその老人は、

 

「天下最高峰の人物かは知らんが写真の好きな老人は近くにいる。しかしその高齢は無意味な来訪を拒絶するところにある。翻って主の来意はなんぞ」

 

それを聞いた木庄氏、携えた写真機を取り出すと海に向かってパチリとやった。意気軒昂と彼の差し出した写真には、竜宮城もかくやと思われるほどの海の生き物が所狭しと枠の中に収まり楽しげに踊っていた。

 

老人は嬉しそうにそれを受け取ると、今まさに芽が出たばかりの畑に向けてポラロイドカメラを取り出してパチリとシャッターを押し込んだ。

 

しばらく経って渡されたその写真には、確かに秋の紅葉に包まれ豊饒に実った葡萄が写し出されていた。老人は見たい瞬間を写真に切り取りたい余り、被写体からこれから発されるであろう光の粒を捉える技に成功していた。

 

木庄はそれを見て自らの写真機を放り出し、写真機を構える腕のまま平伏して老人に教えを乞うたのである。

 

 

 

 

 

その後の木庄の消息については確かな文献は残っていない。

 

ただ誰のものと判然とせぬが木庄であればと余人をして思わせる逸話がある。

 

ある冬の寒い真夜中のことであった。不注意から出た火があっという間に非常に大きな集合住宅を飲み込み多くの尊い命が生死の危機に晒されたところへ、木庄らしき人物が通りがかった。

 

難を逃れた運のよい住民の多くはただ呆然と燃え盛る建物を眺めていたが、まだ助かる命あり、どこに潜んでいるかわからないという時分であった。

 

木庄は話を聞くと写真機を建物に向けてパチリとやった。こんな非常時に不謹慎なと拳を振り上げる人々を手で制すと木庄は救助隊に今取られた写真を渡してこう言った。

 

「炎から出た光の粒は屋内の被写体に当たりさらに細かい光の粒を散らします。四方八方無限に散らされた光の粒をきちんとこの写真機が捉えさえすれば、写真機の向けた角度など問題ではなく、神のご照覧のごとき造影が可能となるのです」

 

救助隊には彼の言っているテクノロジーはさっぱりわからなかったが、彼の持つ写真には間違いなくこの集合住宅の間取り図と、そこにいて助けを求めている人の影が認められた。救助隊は直ちに指揮し、彼女は無事、その姿を外に表した。

 

次に驚くのは彼の番であった。

 

救助された見目麗しい女人が彼に名乗り、お礼を言ったときのこと。彼女の書いた名前は知らない漢字であったが、よくよく目を凝らしてみればはっきりとそれは「木庄」と読めた。未来にその文字がどう姿を変えるか、木庄には読めた。

 

彼の将来の嫁が見つかった。

 

今週のお題「いま学んでみたいこと」

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