物語はいつも不安定

SF小説が好きすぎて

夏が来るからあいつも来るから

えー、最近ではやれ扇風機だァ、クーラーだァ、おてんと様の下は暑くってかなわねェのに、ひとたびおうちんなか入りましたらばァ秋をすッとばして冬が来たかッてェくらい冷えております。

 

しかしまァ昔の家には電気なんて上等なものはありゃしませんな。そんなときにうちんなかァ閉めきった日にゃ一日と待たずゆでだこができちゃう。ゆでだこならまだいいが、窓でも扉でもぜェんぶ開け放つとこんだまた、虫がそこらじゅうから寄ってきていけねェ。体中蚊に刺されてかゆいったらありゃしない。

 

それでもここより暑い国へ行きますと病気にかかっちゃうってんだから、かゆいだけならまだマシってもんです。

 

ですから昔の人は偉いもんでして、蚊帳ってェのをどこの家でも吊り下げているんですな。蚊帳の支度ができてねェとなると、夏なんてものはァ迎えられやしなかったわけで…

 

へェ、今日はひとつ、そんなお話で…

 

・・・

 

 

「おォい、おまえ、蚊帳はどこにしまったっけ」

 

 

「あんたやだねェ、すっかり忘れて。おまえさん去年の暮れに寒い寒いってんで布団代わりに引きちぎって寝ちまってどこもかしこもボロボロだよ!あんなに素寒貧な布団でよく寝られるもんだねェって感心しちゃったよ!」

 

 

「えへへ。そうだっけか」

 

「褒めてないよ」

 

「そんでほら、今蚊帳はどうしててんだい?」

 

「しょうがないからあんたのフンドシに仕立てちゃった」

 

「ははァ、涼しくていいやと思ったら、これ蚊帳か。どおりで蚊がよってこねえと思ったよ」

 

「そんなわけないだろ!ばか言ってるヒマがあったらあんた、仕事の一つでも探してきなさいよ」

 

「おォ、仕事な。今ひとついいの見っけった」

 

「何をするのさ」

 

「この蚊帳を直すのサ」

 

「無茶言ってら!どうやるつもりなんだい?」

 

「それなんだがな、ここンとこをこうやってほどいちまうんだ」

 

「やだよあんた、ふんどしなんか脱いでみっともない」

 

「いいから黙ってみてろィ!」

 

「そしたらな、この紐ンとことな、ゴミみてェな切れっ端をいっしょに箱ん中に入れちゃうんだ」

 

 

「そんでどうするんだい?」

 

 

「一生懸命振るんだよ!ほら、おめェも手伝えって」

 

 

「お前さん、それでなんで蚊帳が直ると思うんだい?」

 

 

「こうやって振ってっと、たまァに紐と紐がこんがらがるだろ?そしたらおめェ、うめェこと結ばれて上等のやつが出てくるかもしんねェじゃねェか」

 

「あんた」

 

 

「なんだい?」

 

 

「お前さん、ばかだばかだと思ってただけどホントのうすらトンカチだったんだねェ」

 

 

「おッ、お前!これだってずーッと続けてりゃァいつかはうまくいくんだよ!そんなら他になんか方法があるかってんだ!えッ!?」

 

「あるともさ。あのね、こういうときは願掛けって相場が決まってるんだよ」

 

「願掛け?そりゃお前ェどういうこった?」

 

 

「いいかい?まず自分の欲しい物をきちんと決めるんだよ。あー誰か上等の蚊帳を持ったお金持ちがこの家の前で蚊帳落として行くんじゃないかなあ!とかね」

 

 

「落としていきっこねえ」

 

 

「まだ終わっちゃいないよ!黙って聞いときな」

 

「そしたらね。もしそれが起きなかったら自分がどうするのかを願掛けするのさ」

 

「何だい?そりゃ。お前金持ちの旦那が蚊帳落としていかなんだら、なにかするってェことかい?」

 

 

「当たり前だろ?願掛けなんだから。掛け金みたいなもんさ」

 

 

「何するんだい?願掛けっていったら願いを叶えてもらったときに、お礼するってのがスジってもんじゃねェのか。」

 

 

「いいからここが肝心なとこだよ。そうだねぇ。お金持ちが蚊帳を落としていくよりも珍しいことを考えなきゃね」

 

 

「珍しいこと?」

 

 

「そうだ!あれはどうだい!?もしもね、お金持ちの旦那が蚊帳を落として行かなかったらあたしはそこら中にいるこの世の蚊を全部たたっころしちゃうんだよ」

 

 

「こりゃ大変だ。遂にうちのおっかァが変になりやがった」

 

 

「いいんだよ!いいかい?これでお金持ちの旦那が蚊帳を落としていくか、蚊が全部いなくなるか、どちらか一方が起きなきゃいけなくなったろ?」

 

 

「おまえさん、蚊をぜんぶやっつけるなんて正気かい?」

 

 

「やれるといやァやれるんだよ!その思い込みが本物ならね。それが願掛けの大事なところなんだよ。あたしが本気だってみせてやるんだ!」

 

「俺がうすらトンカチならおめェも本物のすっとこどっこいだ」

 

「神様仏様、この宇宙を見守る万物の創造主様、あたしは本気です。もし蚊帳を持ったお金持ちの旦那がここに蚊帳を落としていかなかったらあたしはこの世界にいる蚊を全部たたっころしちゃいます。どっちが起きやすいか、ようくお考えになってください」

 

 

「ありゃりゃ、ホントに始めちゃったよ。困ったなもう」

 

 

「あたしゃ本気だよ!静かにおし。願掛けするのも大変なんだよ!」

 

 

「そんな願掛け聞いたことねェや。どちらが起こりやすいか?だって。そんなんで願いが叶うなら誰も苦労しねェよ」

 

 

「願掛けはね、する人の本気を神様が見てるんだよ。本当で蚊を全部やっつけられちゃったら困っちゃうのは神様のほうだからね。そしたらさ、ほうらご覧よ。あの男の人、いい服着てないかい?」

 

「もし、ここの家の人はおられるかな?」

 

 

「ほ、ホントに来やがったッ!へえ!あっしがここのあるじでござい」

 

 

「実は今しがたこの辺りを車で移動中だったんだが、あろうことかよろず屋の品物を引きずって破ってしまってな」

 

 

「へェ!何が破れてしまったんで…?」

 

 

「蚊帳だ」

 

「へ、へへェーッ!それはお困りでしょう!」

 

 

「別に困ってはいない。買い取ればいいだけの話。そこであるじ、この蚊帳捨てといてくれんか?わたしが持っておくより使い手があるだろう」

 

 

「へ、へぇ!いいんですかい?」

 

 

「捨てる手間が省けて私も助かるのだ。見たところあるじ、お前はふんどしを買う金もないと見た。何かの足しにすればよい」

 

 

「そりゃあみっともないところを見しちまいました!ありがてぇお計らいで!」

 

「夫婦ともども、善く暮らせよ」

 

 

「もったいないお言葉!」

 

・・・

 

 

「お前、ホントにやりやがったじゃねえか!いったいぜんたいどうなってやがんだ!これ使いやァばなんでも手に入んじゃねェか?」

 

 

「あんた、願掛けは滅多なことで使っちゃダメだよ。失敗したら逆のことが起きちゃうんだよ?あたしはホントに蚊という蚊を全部やっつけちゃうつもりでいたんだから」

 

 

「おォ!そうだそうだ!おめェはすげえやつだ!すごい!立派!その調子でひとつ、次もひとつ!」

 

 

「だから!どちらが自然なことか物理法則に迫ってるんだから、そんなに何回も…」

 

 

「お、おいどうした?」

 

 

「ちょっと…気合が…入り過ぎたかねェ…」

 

 

「おい!こりゃすげェ熱だ!誰か!誰かお医者様を呼んでくれッ!」

 

 

・・・

 

 

「ど、どうですか?うちのかみさん、大丈夫ですよねェ!?ちょっと慣れないアタマ使い過ぎちゃっただけですよねェ!?」

 

 

「これはひどい…」

 

 

「ひどいって…?」

 

 

「マラリアだ」

 

 

「なッ、マラリアって!そんな熱帯の病気にどうして日本の関東圏でかかっちゃうんでさァ!?」

 

 

「この100年で日本はすっかり暑くなったのはお前も知る通りだ。大方お前さんちには蚊帳の一つも吊ってないのじゃァないか?」

 

 

「そ、そんなこと言ったって!マラリアはほら、先の戦の前に遺伝子改良した伝染病で狙い撃ちにして根絶したはずじゃあ無かったですかい!?俺は、俺っちはそれをようく覚えているんだ…なぜって」

 

 

「確かにマラリアを媒介する蚊を狙い撃ちにしたウィルスは一定の成功を収めたかのように見えた、見えたが、蚊の短い世代交代はこうして新たなタイプの蚊が新たなタイプのマラリアを産んで運び始めているようですな」

 

 

「そ、そんな…じゃあ俺のやったことは…でも薬さえありゃあ助かるんですよね!?」

 

 

「もちろんだ。薬とワクチンでマラリアの症状はかなり抑えられる。薬があれば、の話だが…」

 

 

「マラリアの薬…キニーネ…キナの樹皮さえあれば今でも合成できるんじゃないですかい!?」

 

 

「日本にキナの樹は自生しない。人口のキニーネが手に入ると思っていたから移植の試みは行われなかったんだよ。そして薬を人工的に合成する技術は先の戦で失われてしまった」

 

 

「そんな…じゃあどうすれば助かるんで?」

 

 

「養生することです。お大事になさって奇跡を待つことだ。運が良ければ助かる病気だから」

 

 

「お大事にって…」

 

 

「希望を捨てないように。お代は入りませんが、また来ます」

 

 

「奇跡を待つってなんだよ…」

 

 

「俺が不甲斐ないせいでおめェは…」

 

 

「かかァ…俺はおめェを助けるよ…」

 

 

「絶対に…死なせねェよ…」

 

 

 

「そうだ」

 

 

「おめェはさっき、立派に願掛けをしてくれた…」

 

 

・・・

 

 

「ユリにケシ、メギ…この辺りに自生する植物でアルカノイドを合成するもんはこれで全部だ。これを灰汁で煮て抽出した塩にキニーネの成分が混じっている可能性は限りなくゼロに近ぇ。」

 

 

「だがゼロじゃあねえよな?」

 

 

「たまたま俺が刈ってきた植物が有効成分を含む変異体である可能性。たまたま有機触媒の中で有効成分が合成される可能性。たまたま今かかァの体内を巣食っているマラリアがこれらのアルカノイドに弱い可能性。限りなくゼロに近いこの可能性を」

 

 

「もっと珍しい現象と天秤にかけるってことだ。」

 

 

「しかしそれが本当に俺にできることじゃねェと天秤にはかけられねェ。かかァのやったことは本当は偶然だったはずだ。俺の場合は、」

 

 

「本当に起こせることじゃねェといけねェんだ」

 

 

「この地球に何百兆という人間が生まれてはそして消えていった。もし俺が平凡な人間ならその何百兆の人間のひとりとしてこの生涯を終えるはずだ。だけどよ、」

 

 

「もし俺がこの人類の最後の人間である確率は途方もなく低いはずだ。そんな奇跡は起こるはずがねェだろ。俺が何百兆の人間の最後である可能性よりも、ちっぽけな薬が抽出される方が起こりやすいはずだ」

 

 

「だからよ、俺は今誓うよ。これから俺がかみさんを救える薬を生み出せなかったらこの人類で最後の人間になるよ。俺が研究してたのはこの世にあっちゃいけねえウィルスなんだ。治せる薬なんてこの世に存在しねェ。あのときも、これからも」

 

 

 

 

「神様、仏様、この世界の物理法則を司る存在よ、俺のこの掛け金の重さと欲しい物の軽さを測っておくれよ」

 

 

「こんな平凡でちっぽけな俺が人類最後の人間になる確率よりよ、俺の大事な---を助けてくれよ」

 

 

 

「それじゃあ、始めるよ」

 

 

・・・

 

 

「お、おい!---!目ェ覚めたか!?気分悪くねぇか!?俺のことわかるか!?」

 

 

「---じゃないかい…。嬉しいねぇ。お前さんが私の事を名前で呼ぶのなんて久し振りだね。一緒にワクチンの研究をしてた頃を思い出したよ」

 

 

「馬鹿やろお…心配させやがって…お前蚊に刺されて死んじまうとこだったんだぜッ!?」

 

 

「へェ…それは…めんどうかけたねェ…。でもあんた…どこから薬を手に入れてきたんだい…?」

 

 

「そんなこたァどうでもいいじゃねェか!」

 

 

「俺はよ、お前のためにここにいんだからよ」

 

 

「…」

 

 

「ありがとう…。嬉しい」

 

 

「まだ寝てなって。もう、夏は目の前だぜ」

 

 

・・・

 

へぇ。昔の話にゃあ今みてェな世知辛い世の中には見られない人情味みたいなもんが残っとったらしいですな。え?昔の話じゃないみたいだって?へェ、へ、へへへ…今よりもっと未来にも、人情味みたいなもんはたっぷり生まれるみたいですな…。まァ、人類の運命とかみさんの命を天秤にかけるのが人情味だってのも人それぞれでしょうがね。

 

 

とんてんぱらりのぴー

 

今週のお題「夏支度」

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