物語はいつも不安定

SF小説が好きすぎて

グアテマラ・ラプソディー

「次はー…ラー、…テマラでー、ございます。」

 

足音で目が覚めた。

 

見ると車両から降りる人々で出口に列ができ、僕と皆川さんはそれをおだやかに見つめていた。降りなければいけないのだろうか?しかしこの電車は山手線だし、池袋に着くにはまだ早い。睡眠不足の頭でぼんやり考える。

 

「ねえ、---くん。山手線に終点なんてあったっけ?」

 

もちろん山手線に終点は無い。山手線はぐるぐる回っているからみんな一斉に降りていく瞬間なんて無いはずだ。徹夜明けで課題を完成させた僕にもそのくらいはわかる。

 

「次はー、グアテマラー、ご乗車になる際は、お手元にパスポートを、お持ちください。」

 

「グア…!?降りよう!---くん、降りなきゃ!」

 

皆川さんが大学に提出する巨大なオブジェを抱えて僕の手を引っぱろうとした時、ドアは閉まりきった。

 

そして僕らのグアテマラ行きが決まった。

 

 

2020年のオリンピックはいろんな意味で日本をすっかり変えてしまったと思う。日本へやってくる観光客の数は最も楽観的な予想をはるかに超え、楽観的すぎて悲劇的な結果をもたらした。

 

宿が足りなかったのである。

 

未曾有の宿不足は時の政府に超法規的措置を取らせ、「訪日観光等に関わる家屋利用改善及び促進に関する法律」、通称おもてなし法案が可決した。ありていに言えば寝る場所の無い訪日外国人に対しすべての民家をかつてないほどオープンに解放することを限りなく強制されることとなったのだ。

 

防犯、言語の懸念は「呼んでおいて寝るところがないのは申し訳ない」の前に消し飛び、「住めば都」というわけのわからないスローガンのもと、うやむやに可決された。

 

「そんな来るとは思わなかったんだもん」の言い方がかわいかったという理由で観光庁長官の一言が流行語大賞に選ばれ、「みんながいいならいいけど」というノリで東京都を始めとする多くの民家に訪日観光客がしばし同居することになった。

 

僕のつつましいワンルームマンションもご多分に漏れずセネガル人のカップルが24泊していったのだが、たくさんの文化的衝突と身振り手振りを経た結果、最後にはセネガルの味噌汁ともいうべきパポパイスープを肴に日本酒をラッパ飲みし再会を誓ったものである。聞くところによると詳細なアンケートを基にビッグデータ解析の結果、気の合いそうな観光客が転がり込んで来ていたそうだ。

 

皆川さんの家は少し広かったため中米からお越しになった3人家族の皆様が32泊していったわけだが、最後の日にはちっちゃな女の子が「わたし、ミナカワの妹になる!」と泣きながら駄々をこね、皆川さんも「じゃあわたし、タニアちゃんのお姉ちゃんになる!」と泣き出し、しまいにはタニアちゃんの両親が「じゃあミナカワさんを養子に迎える!」と手続きを始めようとして大変な騒ぎであった。

 

そんな顛末が日本各地であれよあれよと勃発し、大いなる延泊の後にさすがに帰っていった訪日客は、残された日本人の心にぽっかり大きな穴をあけてしまったのだ。

 

 

そして、そんな空洞を埋めるように、潮が満ち始める。

 

 

数多くの国際便が増発され、羽田空港と成田空港に加え渋谷空港が24時間稼働しても旺盛な海外旅行の需要を満たすことはできなかった。

 

そしてついに若手官僚の英断が「日本には海があるじゃない!」という名言でJRに檄を飛ばし技術革新を進めた結果、山手線の最後尾2車両だけ、渋谷→原宿→グアテマラ→代々木→新宿路線を実現することとなったのである。えっ?今グアテマラっていった?

 

走り出した山手線はコンクリートジャングルを縫って河川敷から海に向かって飛び出した。開け放った窓から草の湿った風が流れ込んだ。

 

折しも季節は梅雨明けを間近に迎えた6月で、僕は2回目の大学の夏休みを少々フライングぎみにスタートすることとなったのだ。隣には皆川さんが座っていた。

 

「ねえ、もうこうなったら仕方がないよ。グアテマラに寄ってから池袋行こう?」

 

皆川さんは切り替えが早いのだ。向かいに座るおばあちゃんに挨拶を始めた皆川さんを見ながら、「もうこうなったら仕方がない。グアテマラに寄ってから池袋に行くしかない」という気になってきた。ダイヤ通りの電車で課題の提出が遅れましたといえば誰が責められるだろう。

 

そうだ。むしろこれは好機と捉えるべきである。どうせこの制作課題を提出すれば満を持して夏休みが始まっていたのだ。どのみち夏休みになればどうやって皆川さんをデートに連れ出すか悩むはずだったのだ。今、日本中を見渡してみても僕くらい満を持している学生もいないのではないか。

 

 

 

 

夏が始まるのだ。

 

 

「あ、イルカ」

 

皆川さんは靴を脱いで景色を見ながら目を細めた。海面すれすれに浮かぶ線路を、超低温に保たれた超電導磁石が滑るように走る。下を見れば車両に弾けた波が眩しい。

 

見ると同乗していたおばあちゃんが釣り糸を垂らしていた。餌はなんだろう?と思っていると皆川さんが「餌はなんですか?」と話しかけていた。1mは優に超えるナンヨウクロカジキの散らした水しぶきが皆川さんの真っ白なシャツをびしょびしょにしたが、皆川さんがおもむろにシャツを脱ぐと素敵にカラフルなビキニが現れて僕の目を奪った。生まれてよかった。

 

 

このとき、僕は気づくべきであったのだ。

 

 

なぜ皆川さんは既に水着を着ていたのだろう。

 

夕暮れ時には皆川さんが持ってきた制作課題のオブジェはモンゴウイカをおびき寄せるのに好都合なLEDが灯っていたし、すっかり日が沈んでからも、皆川さんが星空と交互に見つめる星座ハンドブックには南半球の星座が描かれていたのだ。

 

 

灯りが落とされ、車掌さんが座席を倒してベッドに仕立てる間、僕と皆川さんは車両の上によじ登った。山手線にはいろんな機能がついていた。

 

・・・

 

屋根に寝転ぶと見渡す限り満点の星空が海面に映り、列車はのんびりと宇宙に浮かんでいた。皆川さんはしばらく言葉を失っていたが、ようやくたって暖かな夜風に目を閉じた。そんな皆川さんの横顔に僕はしばらく言葉を失っていたが、ようやくたって口を開いた。

 

「皆川さん」

 

 

「なあに?」

 

 

「もしかして、わざと乗り過ごしたんですか?」

 

 

 

皆川さんは「うふふ」と言って僕に微笑んだ。

 

 

 

「私の課題、イカ漁にぴったりだったでしょ?」

 

今週のお題「海外旅行」

f:id:pasapasamedia:20150623102649j:plain