物語はいつも不安定

SF小説が好きすぎて

讀書倶楽部

というWebサービスがある。

 

そのころ本を読むか、大学の過去問を解くか、過去問を解いているふりをして本を読むかのダメダメでしょっぱい浪人生だった僕は、インターネットの端っこでアカウントを作った。

 

アカウントを作らないと中身が見れなかったから、世間の人がどんな本を読んでいるかだけ見たかった。

 

というのは嘘で、友達が欲しかったのだ。

 

友達はみんな大学生活を楽しそうに満喫して僕のことを忘れ去ってたみたいだし、一方僕は勉強がはかどるから、と思って選んだ寮がどう見ても長野の山奥の田舎だった。

 

 

バカでかいストーブが未だに現役で活躍し、一晩中火が絶えないので深夜と朝、誰もいない大広間で、僕は雪の降りしきる森を眺めた。

 

時々寮の庭でたぬきを見かけた。

 

時々、というかしょっちゅう見た。

 

ほとんどいっつも大きめのたぬきとちっさいたぬきがコロコロとその後ろにくっついていたから、こちらで勝手に名前をつけた。

 

丸くて美味しそうな熟れたリンゴを庭に置きっぱなしにしておいたら翌朝リンゴが無くなっていてほっこりしたり、ちょっとずつリンゴの位置を僕の部屋の窓に近づけたりしてたから、運がいいとそのママぽんぽこ(母だぬきのことだ)が僕のおいたリンゴを持ってこっちを振り向いてたりして、そのふわふわした毛玉みたいな生き物が僕のリンゴを大切に持ってくのを見るとキューンと胸がしみて、ああ、僕はどちらかというと人というよりたぬきの方に親近感を、

 

 

話を戻そう。

 

なんだっけ?

 

そうだ、読書倶楽部。

 

読書倶楽部、のトップページにはたった一つ。木目に浮かび上がる「login」のボタン。それを通過するとたくさんの顔写真と本のタイトルが並んだ。

 

古風なサイトだったけれど画面をスクロールすれば話題の本から分厚い古典までしっかりとピックアップされていたし、活発なやり取りが飛び交っていた。

 

想像した通り小難しい本の感想をお互いに書きあって、ああでもないこうでもない。星が3つか4つか、と言う話が延々と繰り広げられていて僕は嬉しくなった。

 

本とかレビューとか、割とこういうのが好きだ。

 

と言うより、それが好きすぎて文学部に行こうとしてるくらいだ。

 

ひたむきな読書青年だった僕はウキウキ順々に上から見ていった。

まだ見ぬ素晴らしい本に出会える予感がしていた。

 

 

 

そしたらめっちゃかわいい子がおってん。

 

え、なに?この子なに?読書とかするん?え、だってどっちかっていうとほら、ネイルアートとかなんか、バッグとか流行りのアイドルとかやないん?いや知らんけどやがな!

 

えー?なんでー?なんでうち大阪弁なっとるんー?えー、だってもうこれ好きやんうち、この子のことめっちゃすっきやんこれもう行くしかないやんこれ、いやそりゃあね、写真だけ違って中身がおっさんとかあると思うよ?今日びうちやってそんな上手い話ないと思うもん。

 

やけんほらでもこの子自分で本持って写っとるやん?いやまあ見た目も好みとかあるしね、そこまで美人かー?とかいうやつもおるかもしれんけどもね、うちのタイプど真ん中突き抜けてハート貫通しよるから。もーえーなにこれもーえー?こういうことあるんやねえーでも出会い系とかじゃないしいいよねえ?これどうやってリクエストするんー?なんかメッセージとかできるんー?あるんやろー?そういう機能あるんやろー?

 

落ち着いてほしい。

 

冷静になって改めてサイトを見ると、この「読書倶楽部」ではお互いに自分の好きな本をリクエストしあって、お互いに了承するとマッチングがなされるのだ。

 

 

マッチングがなされるときっとマッチングしたものだけに公開されるあんな情報やこんな情報、これまでの読書遍歴とかおそらくはまあ連絡先とかまあそういうことだ。

みなまで言わせるな恥ずかしい。少しは慎みなさい。

 

なので勝負はこの一点、この子が「あ、この本なら読みっこしたいな」と思わせられる本を出せるかどうかにかかっていた。

 

 

そのとき私の顔に浮かんだ表情がわかるだろうか。

 

 

「勝った」

 

 

私は中学から高校、そしてまだ見ぬ大学でずっと図書委員をしてきたし、娘が生まれたら名前はパピルス、生まれ変わったら羊皮紙になりたいのだ。

 

羊皮紙がダメならグーデンベルグが活版印刷に使った文字のPとかになりたい。私はPになりたい。私P

 

そんな私がちょっと顔が絶世の美女で憂いをたたえながらもしっとりとした唇が麗しいたかだか17歳かそこらの見目麗しくこの世の美と若さをはち切れんばかりにたたえた所詮はちょっとした女神みたいな読書好きな真面目なお嬢さんに気に入られない本をリクエストするわけがなかろう。

 

 

薄いけど本を読むんがとまらんくて、「えー、なにこれめっちゃ泣けるー、いいやん、めっちゃいい本やんこれー?もっと本教えてー?何なら会ってお茶しよー?めっちゃお茶しようよう?」

 

みたいな展開になる本をリクエストするのは容易なことだ!

 

 

そうだ、相手はぽんぽこじゃあない。

 

 

人間だ!

 

 

そこで私は三日三晩考えに考え抜いた挙句『世界から猫が消えたなら』をチョイスしてその子へのリクエストボタンをクリックした。

 

その時彼女からのこれ読んでリクエストが届いたのだが、それは私の想像を超えていた。

 

 

失われた時を求めてプルースト

 


あらやだちょっと待って。「失われた時を求めて」だって。いやだあ、知ってるわよ私だって。あれでしょ?なんかあの分厚さ世界ナンバーワン!みたいなあれでしょ?

 

とにかく長くて長い割にだらだら長くて特にオチがなくて長さだけで名作と呼ばれて長すぎて誰も読まなくて名作かどうか誰も確かめられないから逆に名作の地位を不動なものとしているあの分厚さナンバーワンのあれでしょ?

 

やあだ。今ウィキって見たら400万文字だって。400万文字かあ。いっぱいマイルたまりそう。これ読み終えたら私だいぶ時を失うんじゃない?あらやだそれで失われた時を求めてってタイトルなのねって今のギャグ値バカウケじゃん。

 

浪人しててもう受験迫ってて追い込みの時期なのに今から失われた時を求めてを読んだ挙句失われた時を求めちゃうんじゃない?ってお後がよろしいようで。

 

よろしくないよ!

 

よろしくないってえ!

 

 

こうしている間にもこの小さなWebサービスのことだ。

 

透けて見えるのだ。

この子とマッチングしたくて『失われた時を求めて』を読む外見はむさ苦しいが頭の中はがらんどうの文学青年がこの子に群がるのが透けてみえるのだ。

 

まあいい。

 

せいぜい頑張るがいい。

 

そして『失われた時を求めて』を読んで失われた時を求めるが良い。

 

私には大学受験があるし、大学にはかわいい子がたくさんいるし、絶対いい大学に受かった方がモテるし。

 

私はここまでだ。

 

いいんだ。短い恋だった。だからそう、

 

 

全巻Amazonで購入した。

 

 

まさかの21,600円送料別。

 

 

僕の狭い寮には『失われた時を求めて』がドカンと百科事典なみに鎮座して僕は失われた床を求めていた。

 

 

さあ読もう。

 

 

 

長い間、私は夜早く床に就くのだった

 

それからのことはあまりよく覚えていない。

 

いや、正確に言うと本の内容以外の記憶がとても薄くてもやがかかっている。

 

 

 

冬が来て、春がきた。

 

 

夏が来て、また寒くなり、季節が一巡りしていった。

 

 

子供だった小ぽんぽこ達も大きくなり、ママぽんぽこと見分けがつかなくなった。

 

 

私は外に出すリンゴの量を増やし、やっと一番小さかった特小ぽんぽこはついに私が撫でても逃げなくなった。

 

読み終える頃、私にはプルーストの言いたかったことが見えてきた。

 

プルーストがこれほどの字数を費やさないと伝えられないものは確かにあったし、それを理解した私がこの文章をご覧の方に伝えようとすれば失われた時を求めて、の2倍は必要だろう。それを書くくらいなら失われた時を求めて、をコピペした方がなんぼか早い。

 

私にはわかったのだが、すべての会話には宇宙が内包されていたし、その宇宙が別の宇宙とせめぎ合って生み出した宇宙に私は歓喜とも悲哀とも説明できない涙と、自分が生まれてきた理由を見出してただただ胸がいっぱいだった。私はこの本に出会うために今まで

 

 

 

と、いうことがあったんじゃよ。

 

 

あらあら、僕、ごめんね。このおじいちゃん、この話をすると際限がなくなるのよね。「失われた時を求めて」だって。

 

 

このおじいちゃんね、未だに読んでるのよ。

 

 

ずーっと同じページだけ、何度も何度も繰り返し、読んでいるの。

 

 

次のページにいけないまま、年をとっちゃったの。

 

 

ええ、きっと、失われちゃったのね。

 

 

でもね、不思議なことが一つあるの。

 

 

このおじいちゃん、マドレーヌを食べた時だけ、とってもしっかりした目でこっちを見るの。

 

まるで、その時だけは気持ちが過去の自分に戻るのね。

 

 

匂いってほら、いろんな記憶と結びついているっていうじゃない?

 

もしかすると、いろんな時間とも結びついてたりして。

 

あら、奥様がお見舞いに来られたわ。

 

 

マメよねえ。もう本当に毎日。

 

 

いつも枕元で本を読んでくださっているのよ。

 

 

あの人が読み進められない先まで、読んであげてるのね。

 

 

はっ!

 

 

今のは夢か?

 

 

気がつけば私も40を過ぎて、たまの出張ではファーストクラスに搭乗するようになっていた。

 

 

今のは…年をとった私だろうか?

 

 

焼き菓子を選ぶとき、私は必ずマドレーヌとそして、紅茶を一杯、一緒に頼む。

 

 

それがこうして昔のことを思い出させるのだろう。

 

 

 

 

そうだ、着陸したら妻に電話しよう。

 

 

「覚えてるかい?君と出会った時のことを、夢で見たよ」

 

今週のお題「プレゼントしたい本」

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