書いているというわけでもなくて
新聞社に送る原稿が仕上がって、さて煎茶でも飲んで一服しようと女中を呼びつけた。今晩はどうして過ごそうか。すると、奴はお茶ではなく何か紙のようなものを持ってやってくる。
「旦那様、あの、お手紙みたいです…」
見ると封筒には差出人の名前がなく、しっかりと糊付けされている。開くと、たった一枚の紙とさらりとした分厚い油紙が現れた。紙幣だろうか。金が入っている。
手紙にはたった一言、
「私が日記を書く理由」
とあった。
それから私書箱の宛先が書かれた封筒が折りたたまれている。油紙に包まれた金を数えると、たっぷり拾伍園という大金である。
「なんだこれは」
女中はさあ、というように首をかしげると、ぼんやりとその場につっ立った。彼女が20のときからこの家の住み込みになってかれこれ数年になる。気の利くセリフを吐くことはない女だ。
「お仕事ですか」
「そのようだ。金が入っている。しかし不気味だ」
こんな手紙はいたずらとして無視しても良さそうなものだ。もしもこの金が入っていなければ、私がこうして連載を持つ作家でなければ、こんなものは仕事の依頼でもなかったろう。
「何を見ているんだ。さっさと出て行きなさい。気が散る」
「はあ」
女中が部屋を出て行ったのを見届けた。「私が日記を書く理由」にちなんだ短編。仕事机の奥から手に付いた何冊かの本を取り出した。そこにはびっしりと、アルファベットが紙面を埋め尽くしていた。
このようにして私は盗作の準備を始めた。
私に文才はない。かつてはあったかもしれないが今はもう無くなってしまった。なのでこうして海外の作品に書かれたアイディアを盗んでいる。幸いにも国外の奇妙な話を集めた本が手元にあるので、名前と地名さえ変えれば良い。
私は手に付いた本をパラパラとめくると、この題にふさわしい小編を見つけた。催眠術にかけられた青年が自分のことを小説家だと思い込み、物語を書く話だ。青年はふとしたことで手に入れた本からアイディアを借りて世間に発表する。
"ああ、よかった。別の世界の人間に書いてもらったものなら盗んだとも言えないじゃないか"
自分のようだ、と思って自嘲の笑いが出る。とはいえ私も昔はこんな風ではなかった。いくらでもアイディアが出てきたし、書く文章は自分のものだったのだ。あの事故からこっちずっと。
原稿に最後の文字を書き上げるとしっかりと蜜蝋で封をして、お金を懐にしまいこみ、女中に渡した。乏しい才能で残りの人生をやっていくのだ。金と同じだ。金を貯める時期はとうに過ぎたから、貯めた金でやりくりするしかない。
その夜のことである。
夜半過ぎにふとしたことで起きた私は、寝床を出て台所から漏れる明かりに気づいた。
誰だろう。
そろりとのぞいてみると、女中が私の手紙をじっとりと見つめていた。しばらくそうしていたかと思うと、彼女はためらいなく封筒を引き裂いた。
あっと思う間もなく私の原稿がテーブルに散らばる。どうしたというのか。彼女は私の原稿を開いて盗み見ている。
その場で怒鳴りつけても良かったのだろうが、私はその異様な光景に体が強張った。普段はぼんやりと、年をとった獣のように愚鈍な彼女が。まさか。目の前の彼女の行動は自分の行動に確信を持っているかのようだ。まるでこの原稿が自分のもののように。
私は息を殺したまま目が離せない。
一通り原稿を眺めた彼女は、テーブルに置いていた見慣れぬ板を開いた。たくさんのボタンがついた銀色の板は、まるで活動写真の盤面を小さくしたかのようにくるくると絵が動いている。
彼女は私の原稿を見ながらたくさんのボタンをひっきりなしに、リズミカルに、手慣れた手つきで押し続ける。
「いったいなにを」
女中はくるりとこちらを振り向いてにっこりと笑った。悪いことをした子供をやんわりとたしなめるような表情だった。彼女はこんな顔をしていたっけ。明かりに照らされた白いうなじが、肩まではだけていた。
「あなたは初めて見たと思っているかもしれないけれど」
「実は初めてじゃあないの」
彼女はゆっくりと、しずかに立ち上がるとこちらへ近づいてくる。彼女は驚くほど近くに来て小さな声でそう、ささやいた。
「この前も書いてもらったのよ」
「でも安心して。明日はまた別のお話を書かせてあげる」
そういうと彼女は私の耳に手を回して、ゆっくりと指をめりこませて、私が最後に思ったのは、
「その作品は私のものではなく、盗んだものだ」と伝えたくなったことだった。
・・・
新聞社から依頼された分の原稿が仕上がって、さてお茶でも飲もうと女中を呼びつけた。今晩はどうして過ごそうか。
・・・
あたしは、彼が自分の名前を呼ぶのを聞いて、封筒の糊付けをもう一度確かめた。
さあ、次は何を書いてもらおうかしら。
今週のお題「私がブログを書く理由」